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吉林省徳恵市留置場での残酷な迫害の実態

(明慧日本)徳恵市五台郷の法輪功修煉者・姜立徳さん(男性)は2007年9月20日、自宅にいたところを突然、侵入してきた五台郷公安出張所の警官・郭風軍、王力らに強制連行され、徳恵市留置場に連行されて監禁された。

 姜立徳さんは206監禁室に監禁され、受刑者の劉と於は監視役として姜さんを包囲して監視した。姜さんは不法な連行と監禁に抗議して絶食し、直ちに釈放するように強く求めた。留置場所長、管理者(管教と呼ぶ)、留置場医師の韓らの指示で、受刑者の於と呉が姜さんを抑え、食道から食べ物を注入しようと強要した。食べ物に多量の塩を混ぜ、力づくで口を開こうとして、姜さんの両頬と唇を大きく傷つけた。強制的に食糧を注入される途中、姜さんの前歯が抜かれた。

 10月8月、留置場は姜さんを206室から210室に変えた。210監禁室とは38キロの手錠と足かせをかけられた死刑囚、殺人犯と全市のニュースに載っていた強姦犯が監禁されている場所である。この監禁室の管教は張振峰(綽名は張四)で、残虐な拷問を仕掛けることで「有名」になった。姜立徳さんは210室に替わっても断食を続けた。張振峰はここの受刑者に姜さんを攻撃するように指示を出した。彼らは一気に姜さんの攻撃に出て、食道から食べ物を強制的に注入して、姜さんの命は危篤の状態に陥った。それにもかかわらず、彼らは攻撃を続けた。

 10月10日、所長の陳樹三、管教の張振峰は姜さんを「悠々車」(拷問用の刑具)に座らせて脅迫し「もしそれでも断食を続けるなら、3日間連続で眠らせず、それでもダメならもっとひどい方法をやるぞ」と暴言を吐いた。その日の午後、彼らは4人の重刑犯らに指示し、姜さんを抑えて「悠々車」に座らせた。

 姜さんは当時、虐待を受けて、身体が極度に衰弱して座ることさえできない状態に陥った。それにもかかわらず、4人は囲んで攻撃し、耳から腰から襲って灌食を強要した。その時、重刑犯の馮宝(九台市出身)が後ろから襲ってきて、足で強く蹴った途端、姜さんは痛くて大きい悲鳴を出した。悲鳴が二階まで響いて、建物を振動させるように大きかった。どれほど痛かったことだろう! 彼らは姜さんの口にひもを巻いて、さらに靴を使って口を封印した。しばらくして、所長の陳樹三、管教の張振峰、医師の李亜洲が監禁室に入ってきた。姜さんは重傷を負っていて、診断を要求したが無視された。

 姜さんの腰は蹴られて重傷を負っており、トイレに行くにも2人が手伝わないと行けない状況であった。腰の痛みが来ると心臓と肺が切られているように痛くなるという。それでも一度も診察をせず、受刑者の馮宝を懲罰もせず、何も起こらなかったかのように平気にしていた。

 10月25日朝、姜さんはすでに痩せこけて、骨と皮しかない状態に陥った。以前の面影すらなくなっていたにもかかわらず、法政科の王、国保大隊の程恩太は姜さんを九台市飲水馬河労働強要所に送り、監禁した。その後の九台市医院の検査によって、姜さんは腰を骨折したことが分かり、生活・労働の能力を失ったため、労働教養所側は受け入れを拒否した。責任を逃れるため、留置場は姜さんの家族を呼び、姜さんの釈放を認めた。

 現在、姜さんは自宅に戻ったが、体が極度に弱り、毎日ベッドの上で生活を送っている。両足も骨折していて、片足が化膿して毎日膿と血が流れ出して、酷い痛みが襲うという。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2007年11月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/15/166586.html