人心を正に帰して、初めて修煉者の安全が保障される
文/中国大陸大法弟子 幸蓮
(明慧日本)私はこのたび初めて第4回大陸大法弟子体験交流会に投稿しました。以前は、人としての観念が重かったため、何回も書きはしましたが、投稿しませんでした。学校では宿題を出さないと、いい生徒とは言えませんが、同じように修煉者は法の基準で常に自分を厳しく律しないと、大法弟子として合格とは言えません。
次に師父と同修の皆さんに自分の修煉過程でのちょっとした体験と認識を報告したいと思います。
法を得た最初のころ、修煉はどんなものか全然分かりませんでした。しかし、初めて座禅をした時、心の底から一念が湧いてきました。「必ず法輪功を確実に修煉していこう。いつでもどんなことがあってもこの意志を変えない」。『洪吟』「縁は聖果に帰す」の中の「師を尋ねて幾多の年 一朝親しく見(まみゆ)るを得る 法を得て修し往回す 圓満(成就)し師に随(したが)いて還る」を読んだとき、私は涙が止まらず、自分でもわけが分りませんでした。後で7.20以降の師父の説法を読んでから初めて、大法弟子の由来と背負った神聖な使命が分かるようになりました。
邪悪が迫害し始めた最初の数年間は、真相資料はとても少ないものでした。ある時、40年ぶりに同窓会が開かれ、私は20枚ほどの資料を用意しましたが、ちょうど20何人が来たので、彼らを救おうと思って、資料を全部彼らに渡しました。しかし、翌日になって幹事から電話がかかってきて、クラスメートの5,6人が「なぜ法輪功の修煉者に参加させたのか、訴えに行くぞ(クラスメートの家族に公安局に勤めている人がいるから)」と電話で訴えてきたというのです。その時、私は多くは考えず、自宅で師父に加持を求め、クラスメートの背後にある大法を破壊する邪悪な要素を取り除くようにしました。
その晩私は夢を見ました。二つの大きな山の真ん中に底の見えない谷がありましたが、私は軽くそれを飛び越えたのです。その時はまだ迫害の初期でしたが、私は師父と大法が正しいことをずっと固く信じており、全然疑ったことなく、邪悪からの迫害を許せないという信念を守りきっていました。その時、師父が弟子である私を守ってくださったと分かっています。その時私はただ邪悪な迫害が許せないというだけで、まだ世の人々の密告が犯罪であるとは分かっていませんでした。
最近、ある時、主人に付き合って公園へ行きましたが、主人は大法を信じていますが、まだ修煉していないのです。彼は前を歩いていて、私は後について真相資料を配りました。今公園には至る所に監視用のカメラがあり、私服警官も多いし、見物人も多いのです。私は正念を発しながら、真相資料を配りました。しかし、やはり1枚の真相資料を配る時に、心の落ち着きを失ってしまいました。その結果、この資料を受け取った2人の常人は歩きながらそれを読み、また聞き苦しい言葉でぶつぶつなにか言っていました。彼らはそこに立って、私が配ったと疑ったのか、私を睨み付けながらそこで待っていました。私はちょっと心が動じましたが、すぐに「恐れる心は私ではない、それは私が人を救うのを妨害する邪悪な要素だ、私はこの心を認めない。私は師父の教示された通り、衆生を救い済度しなければならない。
たとえ先ほど漏れがあったとしても、邪悪からの迫害を許さない。法を得るのを待っている衆生が大法に対して罪を犯すことを許さない。真相資料をもらったこの2人の常人を救わなければならない」と思いました。そこで、私はすぐ落ち着いて、その2人の背後にある黒い手や卑しい鬼を取り除くようにと正念を発して、また師父に加持を求めました。すると、暫く経って彼らは何ごともなかったように急に体の向きを変えて、立ち去ったのです。
今度の経験から、私は師父のおっしゃった「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをする時の心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」(『各地での説法 二』『2002年度ボストン法会での説法』)という言葉を深く理解できるようになりました。もし真相資料を配る時、私が落ち着きを失わなければ、邪悪も隙に乗じられません。私は悟ったのですが、ことある毎に先ず内に向けて探し、このチャンスを利用して人心を取り除くようにしなければなりません。
ただし、それは、これで旧勢力の按排を認めたという意味ではありません。たとえ私たちが一時よく行わなくても、直ちに自分を修正し、十分な正念を持って、師と法を完全に信じて、自己を放下し、完全に衆生を救うことを考えます。自我がなく心が静まっていれば、必ず強大な正念を発することができます。それから危ない時に師父に加持を求めることも忘れてはいけません。このようにして初めて、衆生を救い済度するという目的を達することもできるし、本当の安全も保障できるのです。また師父の法身が本当にずっと弟子のそばにおられることも切に感じました。師父が自ら大法弟子の一人一人を守り、それに数え切れないほどの正神も守ってくれているのですから、私たちはまだ何を恐れるのでしょうか?
私は必ずよく法を学び、大法に符合しないすべての人心を取り除き、師の法を正すことを助け、人間界に下る前に結んだ、衆生を救い済度するという先史の誓約を果たすように頑張ります。
わたしは60歳の大法弟子で、読み書きは小学校くらい程度ですが、これは私が初めて、ピンイン(漢字の読み方)に基づいて自分で入力したものです。私は涙を流しながら、自分の心中を最終段落に入力しました。もし師父のお助けがなければ、私みたいな全然コンピューターもピンインも学んだことのない者が、どうしてこんな短いうちに入力ができ、資料を作ることができたでしょうか? 勿論私はインターネットを始めたばかりで、まだ慣れていませんが、師父からの励ましと同修たちの根気よい教えで、私は自信がつき、コンプレックスを取り除きました。
私たちは心に法があり、真心から衆生を救い済度しようとすれば、師父が限りない知恵を授けてくださるのです。自分のことを愚か者、学力がないと思い、コンピューターと入力を学ぶ勇気のない同修にも、人の観念から抜け出してほしいです。
衆生を救い済度することの能力は師父がとっくに用意してくださっておられます。後は私たちがそれをいただくかどうか(受け皿になっているかどうか)ということです。
ここで師父の慈悲深い済度と同修の真心のこもった援助に対し、感謝の意を申し上げます。
以上は個人の会得ですが、法に符合しないところがありましたら、同修の皆さんにご叱正を願いします。
(第四回中国大陸大法弟子修煉体験書面交流会交流原稿)
2007年11月16日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/13/166181.html)
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