私心を取り除く
(明慧日本)「人間の生命は宇宙空間で生まれたので、宇宙の真・善・忍という特性に同化しており…」(『転法輪』「返修と借功」)一部の生命体は、私心が重くなってきたため、常人の次元に落ちてきたのです。生命の目的は、他ならぬ返本帰真なのです。
高次元の生命体は、私心が出ると次元が落ちますが、人は私心が重いと、更に悪くなります。師父は私たちに無私無我で、なおかつ他人を先に自分をあとにするという正覚にまで修煉しなければならないと教えてくださいました。将来の宇宙の生命体は皆、他人のために存在するのです。修煉は他ならぬ執着心を取り除くことであり、執着心は皆利己的なものであり、名誉、利益、情けも利己的なのです。法を正す時期の大法弟子として、なおさら私心があってはなりません。
師父が法を正す過程で、大法弟子がこれを手助けする体験談を見てみますと、危険に遭っても、皆が無私無我で、一心に大法を守ろう、一心に他人を救おうとしたときに、奇跡が現れ、難関を乗り越えています。私もつくづくとこのように感じています。
ある時、事務室で真相を伝えたら、その場で室長に責められ、とても気まずい雰囲気になり、皆も一時黙り込んでしまいました。というのは、この室長は、派出所のためにも働いていて、よく密告したり、人を懲らしめたりして、常人の中では悪者の方に属し、皆は彼を恐れているのです。その瞬間、私の頭にいろいろな考えが浮かんできました。続けて真相を伝えるか、それとも自己保身するか、もし自己保身するなら、事務室の十何人にも類が及ぶのではないか? 決して正の場を邪悪な場に勝たせてはならない。ここまで考えると、一、二秒黙ってから、私はまた落ち着いて真相を伝え続けました。
私のこの無私無我の一念が出てから、師父のご加護か、場の雰囲気は反転し、皆も談笑するようになり、その室長ですら私の話にいろいろ証拠を出したりするようになりました。正に「弟子の正念足りれば 師に回天の力有り」(『洪吟二』「師徒の恩」)なのです。もし大法弟子が事をなすとき、皆が無私無我で、なおかつ他人のためを思いやれば、まだ解決できないトラブルなどあるでしょうか?
もしすべての大法弟子が皆、無私無我になり、なおかつ他人を先に自分をあとにするまで修めれば、邪悪と迫害はまだ存在する理由があるのでしょうか? 私たち皆でこの私心をはっきり見分け、取り除くように努力しましょう。
個人の会得ですが、ご指摘をお願いします。
2007年11月16日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/13/166418.html)
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