内に向けて探すことは実に不思議である
文/中国大陸の大法弟子
(明慧日本)私の息子(大法小弟子)は今年9歳、小学校2年生ですが、時々愚痴をこぼしたり、機嫌が悪くなると、当り散らしたりしています。また偏食で、勉強が嫌いで、自分のできる家事もしないという欠点があります。特に、腎臓が弱っているお婆さんを全く思いやらず、通学する時に、お婆さんにかばんを持たせて、随分疲れさせたこともあります。ある日、息子は激しい咳が出て、涙も流していました。
夜、法の学習をする時、息子は自分の番になると、いつも長い段落であることに不満で、愚痴をこぼしました。その結果、咳がひどくなってよく眠れませんでした。それを見て、こんな彼は罰を受けるのも当たり前だと思い、真相資料を印刷したりして、彼のために正念を発しませんでした。しかし、後になって妻に正念を発するようにと催促されたうえ、私も我々は一つの全体で、彼のことを放って置くわけにはいかないと思ったので、正念を発することにしました。
元々、直接発しようと思いましたが、ちょっとためらってからやはり先ず自分のよくない要素を片付けることにしました。結印するや否や、師父は繰り返し自分に向けて探すようにと教えてくださいましたが、それは本当に彼を手伝うことなのかという考えが閃きました。すると、私は急に最近自分が他の人を見下げたり責めたりして、他人(特に自分の親戚に)に対して根気がないと気づくようになりました。そのことはとても目立つようになり、ひいてはある時、ちょっとしたことで職場の上司に当り散らすことまでしたのです。私は11年修煉して来ましたが、このようなことはかつてなかったのです。
少し前、病気になっている母親の世話をする時、神経質な彼女に我慢できなくなり、心理状態も口ぶりも良くなかったのです。まだ脱党していない父親でも私より根気があり、母親のことがよく理解できるのですが、私のこのような表れではどうやってひどく毒害されている父親を感動させることができるのでしょうか? これらのことが稲妻のように頭にひらめき、私ははっと目覚めました。衆生を救い済度しようとすれば、至るところで大法弟子の慈悲、寛容、純正を表すべきです。そうでないと、いくらうまいことを言っても、衆生の頭にあるよくない要素を解体する威力がないのです。
私の善なる心は相手によって違い、上の人には慈悲なる心で接し、見下げる人にはそうしない。それは私(し)の表現ではありませんか? 実は息子の表れはちょうど鏡のように私の状態を映しています。もしかすると、私の根気が無く、他人を平等に扱えないために彼に向けて多くのよくない物質を出して、彼の向上を妨害してしまい、私がまた内に向けて探さないことから旧勢力に妨害と迫害の口実を与えることになってしまうかもしれません。
私はいつも息子の事を頭が悪い(数学がよくない)、反応が遅い、法を学んでいるが心を修めないと思っていますが、これはちょうど自分の状態を反映しているのではないでしょうか? 私はなぜ内に向けて探さないのでしょうか? 大法弟子は皆それなりの由来があると師父は言われたのに、なぜ私は息子の事を頭が悪いと見ているのでしょうか? もうこれ以上虚像に迷ってはいけません。正真正銘に内に向けて探すと思いがけない変化が現れるかもしれません。
ここまで思うと、まだ本格的に正念を発していないのに、息子の咳がもう止んだのです。それを見て、私は信じられないほどびっくりしました。それから、しばらく正念を発してから、息子は安らかに眠ったのです。
師父はどんなことでもしてくださるのですが、ただ私たちの善に向かう心を要求されているだけなのです。ただ私は悟性と心性があまりにも低いのです。私はどうしていつも法を正す進展に付いていかず、真相を伝えるチャンスを逃してしまい、自分の話から相手に涙を流すまで感動させる境地まで修められないのでしょうか。
本当に内に向けて探すと、自分の善なる心がまだ足りず、恐れる心があまりにも多くて、完全に他人のためにという覚者の境地までにはまだ随分差があると気づきました。師父は私、それから私と縁のある衆生に焦っておられるのでしょう。
同修の皆さんもこのことを戒めとして、これから皆で共に真相を伝え、脱党を進める事を更によく行なっていきましょう。
2007年11月18日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/17/166648.html)
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