常人が同修を悪く評価するとき
文/中国湖北省の大法弟子
(明慧日本)『明慧週間』第304号の文章「常人が同修を悪く評価する時」に、私は大賛成です。ここで自分の経験した二つのことを書き出して、同修の皆さんと交流したいと思います。
去年4月のある日、私はある同修の家を訪ねると、ドアを入るや否や、彼の娘が「ちょうど、どちらが間違っているかを決めてもらいたいところでした。父さんは私たちのことを魔で、彼の修煉の邪魔をしていると言っていますが、この言い方は正しいと思いますか?」と私に言いました。
私はその同修のつらさがとてもよく理解できるのです。彼の妻は長い間病気を患い、ベッドに横たわったきりで、何もかも面倒を見なければならないのです。それに、孫もまだ幼いので、面倒を見る必要があります。だから、彼は昼間も忙しいし、夜もよく眠れないし、三つのことがよく行えないのです。長く続くと我慢できなくなり、間違ったことを言ってしまったのかもしれません。その同修への理解と、善意を持って協力する立場から、私は彼の娘に「娘は父のことを一番よく理解できるはずです。お父様が一時疲れすぎて、怒る言葉を言っても、娘としては理解し、許してあげられるでしょう? ましてそれはお父様の本音ではないのです」と言いました。すると、後になって、同修の娘はお手伝いを雇って、また母親の面倒も手伝うようになりました。その同修はこのようにしてその関を乗り越えました。
その後、私も関に遭いました。邪悪はいわゆる「訪問」を行い、職場の指導者が私に親切ごかしに生活に何か不便があるか、何か要望があるかなどを聞くようにほのめかしましたが、私は三つのことをよく行うという要求に基づいて彼よらに真相を伝える以外に、自分の生活上の困難も言いました。しかし、如何なる要求も言わず、ただ、大法弟子を守ってほしいと言っただけなのです。その目的は他ならぬ、彼らが悪事を働かず、善を行い、い将来を迎えられるようにということでした。
しかし、妻はそれが分かると、私に向かって愚痴をこぼしました。妻はずっと仕事がありませんが、なぜこのことを彼らに言わないのかと詰問し、私のことを弱虫で利己的だ、妻の生活も構わないと非難しました。妻も他の大法弟子にこの事を言いましたが、ある同修は妻の話を聞いてから、私がよく行っていないと言いました。
そうすると、妻はもっと乗り気になって、指導者にその要望を出してくれと私に言いました。しかし、べつの同修は妻の話を聞いてから、「邪悪が本当に手伝ってくれて、何かいいことをしてくれると思いますか? 指導者は別にあなたたちの困難が分かっていないというわけでもありませんが、本当に手伝いたいならば、このように親切ごかしに聞く必要はないでしょう? それらはただ罠をかけているだけなのですが、ご主人はそれを見透かしたのです。だから、彼を理解し、無理を言わないほうがいいですよ」と親切に言いました。その話を聞くと、妻は落ち着いて私の説明を聞けるようになり、私も大法を修めてできた知恵で『西遊記』の中の物語を例にして彼女に説明しました。その結果、妻は理解し、支持してくれるようになりました。
常人が同修を悪く評価することを聞いたとき、私たちは内に向けて探し、自己を高めるほかに、同修とお互いに理解し合って、協力して圓容し、共に真相を伝え、衆生を救い済度することはとても大事だと思っています。
以上、私見ですが、不適当なところがありましたら、同修の皆さんに慈悲なるご指摘をお願いします。
2007年11月18日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/16/166620.html)
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