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許基善さんはが大慶刑務所で迫害を受けて死亡した事件についての情報

(明慧日本)2007年7月まで、少なくとも4人の法輪功修煉者が既に大慶刑務所で迫害されて亡くなった。この4人は王洪徳さん、袁清江さん、許基善さん、周述海さんである。

 王洪徳さん、袁清江さんは病状が危篤に陥った時治療を受けさせなかった。王洪徳さんは重度に心臓が衰弱する病状で、袁清江さんは深刻な脳の結核、肝臓の結核、腹膜結核、睾丸の結核などの病状だったが、刑務所と刑務所病院が責任をなすりあって、ずるずると長引かせた。袁清江さんは全身が衰弱して意識が喪失した。結局、袁清江さんは刑務所病院から出された当日すぐ死亡した。王洪徳さんは治療できなくなるまで監禁された。彼は釈放されて家に戻り3か月も経たないうちに冤罪が晴れないまま亡くなった。

 2005年6月7日午前8時ごろ、法輪功修煉者・許基善さんは大慶刑務所7区の警察官・李鳳江、警察官・張徳志による転向行為を受けて死亡した。警察官・張徳志の指示を受けて、受刑者達が許基善さんの服を脱がせ、ベッドの板の上に縛ったままで(2つのベッドの板がクロスのように)、便所の中に押し付けられ、蛇口とたらいを使って4時間も許さんに水をかけた。許基善さんはむせて死亡した。

 受刑者達が許基善さんの死亡を発見した後に、慌ててまごまごして、急いで張徳志に報告し、許基善さんに服を着せて、許さんをあわただしく大慶刑務所病院まで搬送した。その後7区の部門長・李鳳江などは受刑者達とミーティングを行った。許基善さんの死亡原因を「心臓病の急な発病で死亡した」と口ぶりを統一して、それ以外のことを言ってはいけないと受刑者を恐喝した。

 以下はその時大慶刑務所の病院が許基善さんに対して行った緊急措置の記録である。事情を知っている者から転々と海外に伝わった。 

 許基善(41歳男性) 2005年×月××日 昼ごろ12:40

 入院時の状況:数人の受刑者によって緊急に大慶刑務所病院に搬入され、顔色は黒くて、唇は青紫色、呼吸と心拍はすでになく、体がすでに冷めており、呼ばれても返事がなく、髪の毛と皮膚は濡れて、体に多く疥癬があった。

 身体検査:意識は喪失、瞳は拡大、直径約8mm、光に対するピントの反応なし、顔色は黒く、唇の深刻なチアノーゼ、頚部の大動脈は脈動がなく、心音は聞こえず、自主的に呼吸することがない。血圧は0/0 mmHg。

 緊急措置の経過:緊急に心臓マッサージを行う過程で鼻と口から水が約2尺(1メートル=3尺)の高さで噴き出した。緊急に同行の受刑者に頼んで、患者の頭後を引いて、左側に向けて、引き続き抑えつけたが、水は依然として途切れず口と鼻孔から流れ出した。助手に頼んで呼吸器と酸素ボンベを繋いで、2〜3分抑えつけた後に、当日当番に当たった警察の医者・梅鴻飛が心音を聞くが、依然として自主的に心拍がなく、血圧0/0mmHg。手を尽くしたが助からず、死亡したことを宣言した。全過程は約3〜4分かかった。(その時、警察医・王海澄も傍にいた。「彼はさっき入浴した」と言うなり、急いで外へ行った。

 診断:呼吸衰弱(水で窒息して死亡したことが考えられる)

 処置:1、院長に知らせること、2、善後処理

 2007年11月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/16/166663.html