三つのことをよく行うことこそ、徹底的に旧勢力を否定することになる
文/中国吉林省大法弟子
(明慧日本)少し前、相次いで何人かの同修に会いましたが、最近法を学ぶと、眠くなり、正念を発する時でさえも眠ってしまったと言う人もいれば、煩わしいことが多くて、師父の要求された三つのことをよく行えないと言う人もいました。私も同じように、最近寝違えと言う症状があり、首を回すと、とても痛かったのです。或る同修はそれを聞くと、「これは寝違えると言うことではなく、迫害の一つの表現で、迫害している邪悪な生命と要素を取り除くように正念を発しなければならない。大法弟子はたとえ執着があっても、旧勢力がそれを口実に迫害することも認めない。我々は師父の按排された道を歩むべきだ」と言いました。
私も同修のこの考え方に賛成します。同修も私のために正念を発し、私も同修の行為に心を打たれました。自分が一番辛い時に師父に手伝っていただこうと思いました。しかし、同時に「あなたは大法弟子ですか? 師父の要求された通り行いましたか? 自分のベストを尽くしましたか? 師父に求める面目がありますか?」と言う考えも浮かんできました。
私は落ち着いて、よく考えました。私は大法弟子です。しかし、最近は確かに精進していません。煉功も少ないし、真相を伝えること、三退を勧めることも積極的にやっていません。昔、毎日歩いて通勤と退勤しましたが、その時間を利用して、真相資料を配っていました。今自転車で通勤するようになりましたが、自分も怠って、気が緩み、精進しなくなりました。我々はいつも旧勢力を否定し、旧勢力の按排した道を歩まないと言っています。しかし、我々の思想と行為が法に符合しない時、三つのことを行わなかったり、或いは身を入れて行うようにしなかったりしたとき、実は師父の按排された道を歩んでいないのです。そうすると、旧勢力の按排した道を歩んでしまい、旧勢力に迫害の口実を与えることになったのではありませんか?
私はもう旧勢力がどんなものか考えません。ただ如何にしてよく行えるのか、師父の要求されたことなら、如何にして真面目に行い、ベストを尽くすのかということだけを考えれば、すべての妨害と迫害はそれにより影も形もなくなるに違いありません。
師父の『ロサンゼルス市での説法』(2006年2月25日発表)の説法の中でのご希望、「最後になって、ますますしっかり行ない、くれぐれも怠らず、緩めず、無頓着にならないように望んでいます」をくれぐれも覚えておきましょう。
2007年11月24日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/19/166822.html)
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