自我を放下し、全体を圓容する
文/中国大陸大法弟子 滌塵
(明慧日本)私たちの市の大法弟子は大法を実証し、衆生を救い済度することをよく行うために、プロジェクトごとにたくさんのグループを設立し、いたるところに資料点や法を学ぶグループを作り、市内と郊外や田舎の同修と連絡を採り、協調責任者もお互いに交流しています。それにも拘らず、私たちの市は大法弟子が全体を形成しておらず、自分が全体の中にいないという同修からの意見を絶えず耳にしているのです。
最近、師父の『法輪大法—オーストラリアの学習者に対して法を説く』を繰り返し拝見して、非常にびっくりしました。弟子を目覚めさせるように師父が重い錘で叩かれておられると感じました。豪州の学習者の問題は実は我々の地区、私の身にも同じく存在しているのです。私たちの市では、学習者は自分の担当したプロジェクトを丹念にやっていて、効果もわりといいのですが、お互いによく協力できず、ひいては足を引っ張り合うことさえあるのです。
私も同じですが、ずっとこういう執着を持っているのに、全然意識せず、自分の担当したプロジェクトだけが一番重要で、他の人は協力すべきだと思い込んでいました。他の同修のプロジェクトだと、注目しなかったり、更に皮肉ったりするのです。表面上法のために責任を負っているように見えますが、実は自分に執着して、意識的に、或いは無意識の内に自分を実証しているのです。
一つ例を挙げると、同修が不法に拘禁される時、自分も情報を集めたり、インターネットで悪行を暴露したりして、積極的に援助に参与しています。しかし、他の同修が留置場から近い距離で正念を発することに関しては、その必要性がないと思い、同修と交流する時に、「留置場の近くで正念を発するのはその中にいる大法弟子を迫害する邪悪を取り除くためなのですが、法を正す事が今日に至って、地元の留置場の警察が大法弟子を迫害する現象が殆どなくなったし、そこで正念を発しても、十分に作用を果たせません。それより、釈放するかどうかを決める機関・公安局や610弁公務室で正念を発する方がましです」と言いました。しかし、それも私が法理に合うように見える言葉で自分を安心させようと慰めるだけで、実際には私は全然そんなところで正念を発していません。ところが、私のこの話は近い距離で正念を発する同修の正しい行為を否定するマイナスの作用を果たすことになり、無意識に邪悪を守り、大法弟子の正念の作用を弱めてしまったのです。
私たちの市では私のような考えを持っている同修も他にまだたくさんいて、協調責任者もこんな考え方を持っている同修を説得できません。しかし、このようにすれば、誰でも自分の担当したプロジェクトを真面目に行っているのに、全体としてはやはり圓容していないのです。百脈が同時に運行しているように見えますが、実は脈もつぼもまだあるし、間隔もあり、百脈を一面につなぐ最高の状態になっていないのです。邪悪もそれらの脈やつぼにより形成された間隔の中で喘ぎ、すきを見て悪事を働き、直接に衆生を済度し、邪悪を取り除く効果を弱めたのです。2007年3月以来の数カ月、市内だけで5人の大法弟子が不法に強制連行され、その中の3人が不法に実刑を下されました。それは本当に心の痛いことです。それは個人に原因があるとはいえ、全体として漏れがあるのも重要な要素の一つだと思っています。
実は大法を実証することなら、どのプロジェクトも重要で、大法弟子も皆自分のやるべきことをやって、自分なりの道を歩んでいるのです。そして、このすべては師父が按排してくださったのです。自分1人で行うことでも、何人かの同修が一緒に行うことでも、法を正すことの要求に符合しさえすれば、師父も皆十分に認めてくださるのであり、皆法を正す進展、法を正す全体での不可欠な重要な一環なのです。プロジェクトとプロジェクトの間ではお互いに関係しあい、補い合うべきであって、地位の区別も無ければ、重要性の違いもないのです。私たちは誰もがすべてのプロジェクトに参加するわけがありませんが、すべてのプロジェクト、それから師を手伝い、法を正す同修の行ったすべてを正念で加持し、それを自分の執着で全体の力を弱めるのではなく、自分のベストを尽くして、黙々と圓容するようにすべきです。
例えば、すべての同修が衛星の受信機を取り付けに行くはずはありませんが、皆は自分の親戚や友人に新唐人テレビを広める責任があるのです。誰もが邪悪を暴露し、大法を実証する文章を書くはずはありませんが、皆情報を集めたり、提供したりする責任があるのです。そうすると、このように形成した全体はただ形の上での「全体」ではなく、本当に純正で慈悲な、無私無我という正念で形成した圓容で漏れのない全体なのです。このように形成した全体の威力、巨大な慈悲なる場があれば、世の人々のすべてを変えられ、全ての邪悪と共産邪霊の要素を解体し、迫害を直ちに終わらせ、それにより更に多くの衆生を救い済度することができるのです。
個人の浅い認識ですが、同修の皆さんのご叱正をお願いします。
2007年11月28日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/24/167085.html)
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