日本明慧
■印刷版   

四川省内江市の法輪功修煉者・楊正碧さん、迫害で無実の罪が晴れずに死亡

(明慧日本)楊正碧さん(54)は内江市東劫與区の人である。2007年11月6日、刑務所、労働教養所、留置場などで迫害され、無実の罪が晴れず死亡した。

 楊さんは、1996年8月、法輪功に出会い修煉により、数々の病気が消え、大法の素晴らしさを自ら体験した。それによって、大法を確信し、修煉し続けてきた。

 1999年7、20 江沢民ごろつき集団が法輪功への残虐な迫害を開始した時、法輪功の潔白を証明する為、楊さんは同修と省府である成都に真相を伝えに行った。2000年9月にも、同修と北京で真相を伝えた。

 2001年1月、内江市東興区国保大隊に不法に強制的に連行され、東興区留置場で1年の労働教養を言い渡されたが、当時、楊さんは高血圧の理由で労働教養を受けず、1万元の保証金を強制的に納めさせられた。

 2001年7月、東興区国保大隊長・黄君仲と警官たちは、楊さんを東興区留置場に強制連行し、不法に家財を没収し、法輪大法の書類なども奪いとった。

 また、楊さんを内江市留置場に移送し、1カ月間監禁した後、4年の判決を言い渡した。

 楊さんの夫の法輪功修煉者・邱永林さんも北京に真相を伝えに行った時、同時に不法判決3年を言い渡された。

 楊さんは、四川簡陽養馬河刑務所に移送された後、龍成都川西龍泉駅刑務所に移送され、邱さんは、四川射朷彩浬蠅冒蕕譴拭ぎ

 2005年、楊さんの夫、邱さんは人々を救うため、真相資料を配っていたという理由で、東興区西林派出所により、東興区留置場に連行され、猛打され、綿陽労働教養所で、1年の不法教養に科せられた。

 楊さんは、同修と親族を救うため、内江〜綿陽の間の、至る所で真相を伝え、綿陽労働教養所の警官・張小剛にも真相を伝えた時、張小剛は「真相説明を止めなければ逮捕するぞ!」と脅してきた。更に夫との面会も拒否され、取り合ってくれなかった。

 綿陽労働教養所に、面会の要求を頻繁に求めにいった数カ月間の交通費や、其の他の費用は6千元(息子と親族の分も含む)を超えたが、それでも面会を許してはもらえなかった。

 2007年7月7日、楊さんが東興区陽柳鎮で真相資料を配っている時、陽柳鎮派出所により不法に連行され、東興区拘留所に送られた後、内江市労働教養管理委員会から1年3カ月の不法労働教養に科せられたが、楊さんが高血圧のため、労働教養所に送ることが出来なかった。

 楊さんが家に戻ってからも、警官らは迫害をし続け、絶えず家にきては、嫌がらせをした。

 9〜10月の期間、中共の「17回党大会」がありその前後、5回も家に来ては嫌がらせを行った。区の警察と団地の保安から、「17回党大会の期間中、団地を出る時は必ず許可を受けるように」と強制的に要求してきた。

 数年来、楊さんは刑務所、労働教養所、留置場、拘留所などで、数回にも及ぶ残虐な迫害を受け続けた上に、家に戻ってからも心が休まる日がなく、健康面、精神面、経済面など、あらゆる打撃を受けたため楊さんは冤罪が晴れぬまま、2007年11月6日この世を去った。

 2007年12月1日

(中国語:http.://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/28/167332.html