「眠気」の障害を排除する体験と悟り
文/国内法輪功修煉者・梅帰
(明慧日本)最近、私は同修に励まされながら日々少しずつ精進しています。毎日時間と競走しているようにいつも時間が足りないと感じるので、睡眠時間を削っています。しかし、すぐ「眠気」が襲ってきて、学法の質と効果も悪くなって1ページを読むのに長い時間がかかり、発正念の時、手も倒れて、正念の法力もなくなったと感じました。寝てはいないのですが法をしっかり勉強できていない状態です。そこで、どうしてこんなに眠いかを考えました。
1日24時間はすべての人に対して公平であると、ある同修がかつて言ったことに私もすごく同感しました。そうだ、時間は誰に対しても公平だ、決して誰かに少し多く、もしくは少し少なく与えることはしない、時間の使い方は本人次第だと思います。私は以前しっかりやっていなかったので、残された時間がますます少なくなった今、できるだけ多くの時間を「三つの事」に使おうと思っています。しかし、私の前に現れた最も大きな障害は「眠気」です。私はどうして不眠症にならないのか、不眠症になったら良いのにと時には無邪気に思っています。
「眠気」の本質を解明できれば排除もできます。「眠気」は、根本的に言えば私達が安逸を求めたもので、人の観念です。人間の正常な睡眠は8時間であるべきで、私が3時間あまりの睡眠を取れば足りるわけがない。眠くないわけがない。朝、定刻どおりに起きて煉功をできるわけがない。昼寝をして足りない分を取り戻さないと、と思いました。早く寝ないと翌朝起きられないぞと思った時もあります。そう思うと翌朝間違いなく起きられないのです。実は、すべて私達人間の観念が促したものです。万事に「因」があって「果」があり、睡眠が足りないと必ず眠くなるという「因」を植え付けたので、翌朝起きられず、法をしっかり勉強できない「果」があるのです。
では眠くなったらどうしましょうか? 私は冷たい水を用意して眠くなったら顔を洗って、外に出て少し散歩をしたり他の方法も使ったりしましたが、長く続けたらやはり駄目でした。そこで私は師の法を思い出しました。師は病気治療に関する説法で「人為的に抑えて食べさせなかったり、自分で制御して食べないのではなく、心の底から現れてくるのです」とおっしゃいました。そうです、私が自分の眠気を無理に追い払うのも同じです。
人間の観念を取り除くことは最も重要です。神は眠くなるのですか? 師はいつも「神が修煉しているのではなく人間が修煉しています」と言われます。私達は神の考え方で物事を考えて行動しないといけないのです。「神が人の中にいる」のとおりです。師は第1講で「病気が治ったら修煉しようと思う人がいるようですが、修煉にはいかなる条件もつけてはいけません。修煉しようと思い立ったら、修煉を始めるべきです」と説法されたとおりです。私達は法を勉強しようと思ったら師を尊ぶ、法を尊ぶ心で勉強して、ほかに何も考えず、今何時だとか、遅いとか、寝ないとどうなるかなどと思わなければいいのです。
だから「眠気」は修煉者のあるべき状態ではないと気がついたら、これで突破できると思います。
文章に書き出して同修と交流し、私と同じような同修も早く突破できることを望みます。
個人の悟りですが、不適当なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。
2007年12月2日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/11/21/166933.html)
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