自我を放下すれば、邪悪が自ら滅びる
文/中国大連大法弟子
(明慧日本)私の夫はよその地区に送られて迫害されているため、私は何人かの同修と一緒に会いに行くことにしました。その過程で、我々は自己を確実に修め、全体に責任を負い、全体を形成すれば、邪悪が自ら滅びることをつくづく体験しました。
行く前に、私たちは全体を形成することに関して交流したことがあり、皆は法に則って、全体を形成することの重要性を認識するようになりました。私たちは同修の車に乗って向こうに着いたとき、ちょうど昼ごろなので、どこで食事をするかを相談しました。車を運転する同修は自分の経験から労働教養所の近くにレストランがあると判断しましたが、私ともう1人の同修は労働教養所の近くにレストランがないと思い、そこに近い市内のどこかで食事をしようと思っていました。車を運転する同修が自分の意見を固持するので、労働教養所の近くへ行きました。確かにそこにはレストランがあるのです。しかし、値段がとても高いので、採算が合わないと思って、そこでは食べないことにしました。そのレストランを出て、私たちはまたその近くのほかのレストランでするか、それとも市内でするかについて、論争しました。最終的に、私が自分の意見を固持したので、車を運転する同修は不本意ながらも市内まで走りました。ところが、市内に着くと、私の想像と違って、すぐレストランが見つかりませんでした。私は同修に責められることを恐れ、とても面子がないと思っていました。
ちょうど昼の12時なので、皆で正念を発しました。その後、皆は黙り込んで、まだ同修に会いに行っていないのに、なぜただ食事のことでもう各自自分の意見を固持し、散り散りばらばらになったのかと考えました。
車を運転する同修は先ず内に向けて探しました。すると、自分は経験が豊かだと思うので、皆が自分の意見に従うべきだと言う執着を見つけました。またそのこと自体が正しいかどうかが大事ではなくて、その過程で、自分を放下し、全体を圓容し、自分の心が動じた事がもっとも問題だと意識するようになりました。そして、私も別にどうしても自分の意見を固持するのではなく、どこで食べてもいいと意識しました。それから、ほかの同修も内に向けて探し、自分の心が如何に動じたのかと考えました。そうしたら、その後、私たちは直ぐ値段も場所も手ごろなレストランを見つけました。その瞬間、私たち皆は自我を放下し、全体を形成することの不思議さをつよく感じました。と同時に、内に向けて、確実に自己を修め、本当に全体に責任を負うべきだと認識して大法の威力をつよく感じました。
以上の経緯から、同修に会いに行くことについて、私たちは全体を形成することの重要性をもっとはっきりと認識するようになり、皆も必ず同修に会わなければならないという正念を固めました。もう一方、私たちも慈悲で穏やかな心理状態を持って、同修に会うことに執着するのではなく、邪悪を取り除くことと衆生を救い済度することに正しく対処すべきだと認識しました。
労働教養所に着いてから、受付が暫くの間担当の隊長と連絡が取れませんでした。すると、その時間を利用して、私たちは邪悪を取り除くように正念を発しました。そうしたら、暫く経って、連絡が取れるようになりました。その隊長が出てきてから、私はただ簡単に面会の要求をすると、噂ではとても邪悪な人なのに、快く同意してくれました。この全てを目の前にして、私たちは皆心性が法の基準に合い、自我を放下し、全体を形成すれば、瞬く間に邪悪が滅びるともっと深く感じるようになりました。
今度のこの経験を書き出して、同修の皆さんと交流したいのですが、我々皆で自我を放下し、全体に責任を負い、大連地区で本当に確固たる全体を形成しましょう。
個人の会得ですが、不適当なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。
2007年12月2日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/27/167265.html)
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