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師父の豪州での『説法』を撮影した同修との交流

(明慧日本)師父の『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』を撮影したオーストラリアの修煉者の「同修との交流」を読んで、私も同感です。私は音響技術には詳しくありませんが、ここで別の角度から同修たちと交流したいと思います。

 私は日本の会社で働いています。会社では毎年「技術発表会」を開催しています。毎回映像をビデオ化していますが、会社が小さいので、映像を担当する専属の社員はいません。しかし音響、撮影、演壇の位置などに関して失敗は一度もありませんでした。それは、日本人がどんな事に対しても、「確認、確認、再確認、協力、協力、再協力」という繊細さに関係するほか、仕事の中のちょっとしたミスでも、会社の面子にかかわる重大なことと思っているからだと思います。撮影を担当する社員は数時間前に会場に来て、会場の大きさ、音響効果、撮影する位置(一般にはカメラは2台または3台からなっている)などを事細かく確認しているからです。更に、会議直前に彼らは走って会場に入り、数人で再確認をしてから、それぞれの位置に付きます。会議終了後、それぞれが最初に言った言葉は「無事に終ってよかったね。ご苦労様です」であり、やっとリラックスできるのです。

 こんなに小さな会社で専属の社員がいなくても、ミスする事もなく撮影は出来るのです。にもかかわらず、私たちの慈悲なる師父の説法においての撮影には、慎重さが足りなかったと思います。もっと慎重に「確認、確認、再確認、協力、協力、再協力」すべきだったのではないでしょうか? 撮影と音響がもっと協調すべきだったのではないでしょうか?

 ここで、今年7月27日、師父がアメリカの首都での『説法』の時のことを思い出しましたので、皆さんと交流してみたいと思います。当時、ステージの中央に、金色の布で覆われたテーブルと椅子があり、照明がその場所を照らすようになっていました。師父が『説法』の際に使用されるマイクは置かれていたのですが、師父が演壇に立たれた時には、マイクは別のところ(発言する修煉者が使っていた演台)にあって師父の演台には何もありませんでした。私たちは師父の『説法』にかかわることに対して、修煉者はどんな些細な事でも気をつけ、終始確認すべきではありませんか?

 以上は個人の考えであり、正しくないところに関しては同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

  2007年12月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/10/31/165611.html
(英語: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/11/13/91318.html