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武漢市の思想改造施設は法輪功修煉者に薬物で精神破壊(一)

(明慧日本)近ごろ、湖北省武漢市の数人の法輪功修煉者は、思想改造施設での迫害の経歴を言及する時、多くの疑問点を発見した。つまり思想改造施設の食事をした後で、度々体の調子が悪いと感じて、しかも病状は大体一致する。その時法輪功修煉者は離されて単独で拘禁されるため、お互いに会うことができなくて、しかもこれらの病状はすべて強烈ではなく、その時はあまり分からず、皆業力が致すところなのだと思い、病気になる業として耐えていた。このような食事に薬を混ぜる迫害の形式は大々的にタイムリーな暴露を得ることができなかったので、邪悪のこのような陰険で腹黒い迫害の形式を数年来ずっと持続させてしまった。 

 本文は数人の法輪功修煉者の記憶を結び付けて整理した。ここで更に多くの同修が各地のこれらの情況を整理することを望み、広範囲に暴露して、直ちにこのような腹黒い陰険な迫害の手段を終えて、衆生への無知な犯罪を停止させる。医学界の同修は、私達の整理したもので、同じ病状の表現から判断して、一体どの種類の薬物に属するか探し出してくれることを望んでいる。

 思想改造施設の警官・陳奇はご飯に薬を混ぜたことを承知

 武漢市武昌区の法輪功修煉者・甲さんは、2005年6月の初め頃、武昌区の楊園思想改造施設に連行された。この場所は各種の刑具、電気棒などの迫害形式を採用する以外に、かつて食事に薬を混ぜたり、強制的に不明薬物を注射するなどの迫害を行った。甲さんは食事に薬を混ぜられた被害者の中の1人。以下は法輪功修煉者・甲さんがその時の状況に対する記憶です。 

 2005年6月の初め、私は武昌区楊園思想改造施設まで連行された後、何日か後で頭に痛みが現れて、目がはっきりしない、思惟にも混乱が現れて、筋道のある考えができなくて、記憶が消えてなくなることを始めとして、2006年末には、状態がいっそう悪化して、坐っても横たわっても転んで、体の平衡がとれず、すべての歯は痛くて、歯が抜ける現象も現れて、左足の痛みは我慢し難くて、時には本を持つ力さえなかった。 

 私はその時どういうことかを知らないで、このような状態の下でずっと耐えていた。最近明慧ネットで武昌区楊園思想改造施設の食事に薬を混ぜるという暴露を見て、自分の体の状況と結び付けて、やっと自分の食事に毒薬を入れられた陰険な迫害を受けたかもしれないと思い付いた。私の前の仕事はずっとマーケットで保管係をしていた。1980年以後、またマーケットの仕入れをしているが、知力、記憶はともにとても良くて、今このような状態ではない。

 私は今、ある事を思い出し始めて、同じように私がかつてこのような迫害を受けたことをかたく信じさせた。その時私は楊園思想改造施設に拘禁され、娘が私を見にきた。ちょうどその時の楊園思想改造施設の最高責任者の陳奇(音、現在すでに罰が当たった)に出会い、娘の嫁ぎ先の知人と友達が一緒だったが、陳は娘に誰を訪ねるのかと聞いた。娘が私を訪ねると言うと、陳はそれを聞いた時にぎょっとして、小さな声が口をついて出た。「おや、私達はご飯に薬を混ぜた」。娘は急いでどういうことか問い詰めたが、陳は口をつぐんで答えなかった。 

  今日私はこの事を暴き出して、この種類の邪悪な迫害を暴き出すこと、邪悪が今他の同修に対してこのような迫害を停止させるのに少しでも役立つことを望む。

 高さんは不明薬物を注射されて、息子さえ見ても分からない

 武昌区の法輪功修煉者・高さんは、ずっと個人経営者で、かつて2度武昌区の楊園思想改造施設で不法拘禁された。

  2004年5月、高さんは楊園思想改造施設に不法拘禁された時、かつて5〜6人の警官に無理やり小さい会議室のテーブルの上に押さえられて不明薬物を注射された。その時高さんは体がむくみ、弱々しく力が出ないなどの病状がすぐ現れた。

  2004年6月、高さんは何湾労動教養所に転送されて、11月両足の痛みが現れ始めて、眠ることができない。労動教養所の医者が見た後に末梢神経炎と言って、高さんにこのための薬を飲ませた。一回飲んだ後に歩くことができなくなって、もし歩くあるいは立っても10分しか耐えられなくて、そして足に力がない。その時高さんはいつも頭が真っ白で、このような病状が3〜4カ月間続いた。

 2005年5月、高さんは迎えられて家に帰ったが、自分の息子を見ても分からず、足が痛む、しかし外からはどんな兆しも見られない。

 (二)へ続く

 2007年12月7日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2007/12/5/167807.html