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胡志明さんは迫害され歩けなくなり、家族が多くの迫害事実を暴露

(明慧日本)遼寧省丹当東市出身の法輪功修煉者・胡志明さんは、空軍司令部所属、北京空軍工程学院修士課程の大学院生である。胡さんは、遼寧省錦州市、南山刑務所で迫害を受け、歩行困難になったため刑務所附属病院に送られた後も、また迫害を受けた。

 また、不法に錦州教養所に拘禁されている法輪功修煉者・劉源さんと李連軍さんは、長い間、警官らに「転向」を強要され迫害を受けている。警官らは劉さんと李さんに、毎日手錠や足かせをかけヘルメットを被らせ、「転向」(信仰を放棄すること)を強要し、2人を「死人床」(鉄片で編まれたベッド)」に長時間縛りつけた。このような残虐な迫害は3カ月も続き、また家族との面会も一切許可することもなかった。

 1999年7.20 江沢民グループと中国共産党が、法輪功を迫害して以来、錦州市南山刑務所は法輪功修煉者に対し不法に拘禁し、また残虐な拷問もしてきた。法輪功修煉者・崔志林さんと辛敏鐸さんは残虐な迫害によって、それぞれ2004年8月5日と2006年9月1日、冤罪が晴れないまま死亡した。

 胡志明さんは、南山刑務所で不法な迫害に抗議するため、2006年4月25日から断食を始め、1年半以上にも及んだ。胡さんは、潅食という鼻からパイプを挿入され、食べ物を入れられる残虐な迫害を、長い時で、連続して7〜8カ月も受けたという。家族によると、胡さんは、もともと健康で活力あふれるほどの人だったが、今は病弱になってしまった。長期間、身体を動かす事もできない状態におかれていたため、両足の筋肉は萎縮して歩けなくなり、命を落す危険性が常にあると医師から言われ、家族は胡さんに車椅子を届けた。 

 胡さんは1990年に空軍工程学院に入学し、1994年に卒業後、同校の修士課程に進学、1997年修士課程終了後、北京空軍軍事訓練器材研究所に勤め、同時に法輪功を修煉し始めた。当時、彼が家族に送った手紙には、修煉を始めて良かった事の内容が書かれていて、喜んでいる気持ちが筆先にまであふれていた。1998年、胡さんは、同研究所のコンピュータ室、主任代理・少佐階級に昇進し、そして何度も奨励されたことがある有望な人だった。

 1999年7.20 中共と江沢民グループは法輪功に対する迫害を始めてから、中国軍隊の内部も法輪功修煉者に対する迫害を始めた。北京当局はすべての政府部門に2000年3月に開催する全国人民代表大会の期間中に、法輪功修煉者を全員逮捕または、監視下に置くようにと命令した。迫害を逃れるため、胡さんは退職したが、胡さんの電話通話記録を調べて、宿泊先を突き止め、胡さんを不法に強制連行し、北京西山のある場所に2カ月近く拘禁した。胡さんは、兵士らに24時間監視され、空軍司令部からは、法輪功の修煉を放棄するよう「洗脳」された。結局、胡さんが法輪功の修煉を放棄しないため、元勤務先から2000年5月、胡さんの軍籍(軍事系大学の卒業生は一生軍籍に入り、退役させることができない規定がある)を除籍し、胡さんを家に送還した。

 家族の話によると、胡さんが家に帰った後、法輪功の修煉を続けたため、現地の派出所はよく胡さんの私生活を侵害しに来た。公安局の迫害を逃れるため、また家にも迷惑をかけないために、胡さんは家を出た。2000年9月、胡さは一度音信不通になり、家族はいろいろな手段で探したが、行方は分からなかった。

 2001年10月、胡さんは法輪功を修煉していたため、法律上の手続きもないまま、不法に上海に拘禁され懲役4年を科せられた。

 この知らせは両親のところに届き、長い間失踪していた胡さんの行方がようやく分かり、母親は悲しみのあまり毎日泣き暮らしたので、眼の病気になった。胡さんは拘禁されていた間でも、ずっと法輪功の修煉を堅持していた。胡さんは長い間、断食で抗議を続けてきたので、身体が弱くなっていた。刑務所は「転向」しない法輪功修煉者に対し、拘束期限が過ぎても拘禁しているため、責任を免れるため2004年に胡さんを釈放した。

 家族が上海まで胡さんを迎えに行ったが、胡さんの体調はひどく悪い状態で、歩くことさえ困難となり、まるで別人のようになっていた。

 家に帰った胡さんは、しばらく休養をしたため、健康を取り戻し、コンピュータの知識も独学で勉強した。しかし、現地の公安局はよく家に「様子」を見に来るので、胡さんは家族に迷惑をかけないため、そして公安局に迫害されないため、北京に行きその後また行方不明となった。

 2005年9月、胡さんが法輪功の真相のディスクを所持していたのを、住民委員会の人に見つけられて国安局に密告され、胡さんは国安局に連行された後、家財も押収され、不法に拘禁された後、刑を科せられた。

 2007年12月8日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/30/167396.html