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山東膠州市で10月に不法連行された法輪功修煉者の状況 

(明慧日本)今年10月より、山東膠州市「610弁公室」(江澤民が法輪功を迫害するための不法組織で、公や検察機関、法律を凌駕している)は、「10月1日」(開国記念日)と「第17回党大会」のいわゆる敏感な期間中に、積極的に法輪功修煉者のイ翠霞さん、劉紅さん、杜善英さん、黒建夙さん、李世英さん、テツ英強さん夫妻、何さん夫妻、李新夙さん、沈燕さん、劉金美さん等を続々と派出所や留置場、労働教養所に不法に連行し、残酷な迫害を加えた。

 10月4日午後3時頃、 膠州市「610弁公室」の指示により、10数人の警官が法輪功修煉者・黄玉強さんの家をぐるりと囲んだ。何人かの悪警官はハンマーや鉄棒で家のドアを打ち壊し、狂犬のように中に入り込んで、逮捕状なしに、黄玉強さんを強制連行しょうとした。たまたま黄さんが不在だったため、その連中は黄さんの妻・杜善英さんと息子・黄波さんに暴行を加え、黄さんの行方の自白を迫った。当時、杜善英さんは腕に1歳に満たない姪を抱いていたが、子供を奪って、隣近所に預けて、強引に杜善英さんと息子の黄波さんを派出所まで不法連行した。

 その日の午後、自白を強要されて、 杜善英さんと黄波さんは全身が鬱血するまで殴られ、あちこち傷だらけで、腕の傷口は茶碗ほど大きかった(杜さんが脱出後、筆者が目撃している)。ほかにも様々な拷問を受けていた。

 杜善英さんはもうすぐ60歳になる年寄りで、脱出した時は、警官が就寝してからのことだった。朝の3時に高い壁を不思議にも乗り越えて脱出した。杜さんが脱出してから、息子の黄波さんが鬱憤を晴らす対象になり、鉄の籠に閉じ込めて、杜さんの行方を自白するよう毎日強要し、1カ月の間3食ともまんじゅう1個だけだった。

 10月1日、法輪功修煉者の劉紅さんは水寨新村で真相のチラシを配ったときに摘発されたあと直ちに610弁公室に強制連行された。10月4日以後、610弁公室はまた警官に指示を下し、連続して黒建夙さん、李世英さん、テツ英強さん夫妻、何さん夫妻、李新夙さん、沈燕さん、劉金美さん等を強制連行した。

 警官の王文龍、万暁寧、張らは、靴底で李世英さんの後頭部を殴ったうえ、手錠をかけた李さんを引っ張り回したので、手錠が肉に食い込み、血がぽたぽた落ちた。また悪警官連中は、彼女の髪の毛を捉えて壁にぶつけたりして、髪の毛が抜け、頭が血だらけになり、杜善英さんと同じような様々な拷問を受けた。

 李世英さんは血だるまになり、固まった血肉が服について脱げなくなった。李さんが初めて大山労働教養所に送られたときに、彼女の悲惨さをみて教養所の警官は、死刑犯でさえそこまでとはと言い出し、護送する警官4人は言う言葉がなく、そのまま受付を拒否された。今度は警官の王文龍が自ら出動したが、依然として受け付けられなかった。仕方なく、警官の王文龍はついに凶暴さをさらけ出して大声で「自分が責任を負う」と約束し、公式文書に署名がすんでから、やっと入れるようになった。

 警官はある法輪功修煉者の身の回りに、沈という文字の後ろに電話番号があったのを見つけると、法輪功修煉者の沈燕さんを強制連行した。

 2007年6月初め、劉金美さんの実家の甥で、法輪功修煉者の劉亮さんが悪警官に強制連行される際に、井戸に追いつめられ、死んだ。劉さんがただ一つの詰問を言っただけのことを、610弁公室の頭目である王栄海が耳にして、今度は劉金美さんも牢屋に入れられてしまった。

 現在、李新夙さん、沈燕さん、周慧さんは釈放された。不法に労働教養中のイ翠霞さんは2年、劉紅さんは刑期不明。劉金美さん、 黒建夙さん、何さん夫妻は大山労働教養所に不法拘禁されたままで、 李世英さんとテツ英強さん夫妻は行方不明。

 法輪功修煉者を迫害することに加わっている膠州市610弁公室頭目の王栄海、警官の王文龍、万暁寧、公安局副局長・王勇等は、一歩ずつ罪の深淵に向かっている。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照) 

 2007年12月9日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/12/4/167723.html