日本明慧
■印刷版   

遼寧省女子刑務所:魏明珍さんが迫害された

(日本明慧)遼寧省葫芦島市南票区の法輪功修煉者・魏明珍さん(53歳)が、警官に連行されて拷問を受け、不法に、興城市留置場に約5カ月間拘禁された後、2007年11月8日に3年の判決を下されて、遼寧省女子刑務所に引き続き迫害された。11月22日に家族が面会した時、魏明珍さんは、2人の受刑者に支えられて出てきたが、すでに顔色が悪く枯木のようにやせており、明らかに殴られた跡だと分かる、右目の下の黒くなった肌を発見した。

 魏明珍さんが、遼寧省女子刑務所に迫害された事件が暴露された後、2007年11月30日午後、魏明珍さんの息子は、遼寧省女子刑務所の政治課から電話をもらい、事件はすでに調査され、魏明珍さんの傷は、受刑者と口論した時に蹴られたのだと言われた。瀋陽女子刑務所側は、次の日に、息子と刑務所で相談することを約束した。

 12月1日9時、魏明珍さんの息子は時間通りに瀋陽女子刑務所についた。臨時の応接室で、監獄の政治課の課長・張暁兵は息子に次のように言った。刑務所の指導者は、魏明珍さんの息子が書いた手紙(母が刑務所で殴られた事を指す)を読み、皆これをとても重視し、そして何度も、「魏明珍さんの足の傷は受刑者と口喧嘩した時に、受刑者に蹴られて残ったもので、今はもう大丈夫だと」言い、目の下の傷は、「彼女は目が悪いので、服をかけた時にうっかり転んだのだ」と言った。「殴った受刑者は、すでに魏さんの部屋から離され、懲戒処分をされ点数を減らされた。魏明珍さんが殴られた時、馬区長(三監区の監区長)は見学に行ったため、区長代理は仕事の経験がなく、刑務所の管理人員の素質は異なり、このような事が発生したのは意外だった。また刑務所は省の文化部門であり、警官の素質はとても良いので、決して人を殴る事はない。さもなければ、上の指導者が知れば処罰するはずと言った。

  張暁兵は何度も、魏明珍さんの傷は軽くて、すでに検査を受けても、大したことない、ただの外傷だと言った。11月22日に魏明珍さんと面会した時、魏明珍さんが背負われて出てきたことについて魏明珍さんの息子に聞かれた後、張暁兵は慌てて、魏明珍さんの体が虚弱で足が遅いので、接見室まで遠いことを考えて長めに面会できるようにそうしたと説明した。

 最後に刑務所は、魏明珍さんの息子に母と面会させた。「私達が言ったことを信じられなければ、あなたのお母さんに自分でどうだったかを聞けば、すぐに分かる」そして事前に魏明珍さんに知らせていないことを承諾した。

 魏明珍さんの息子、姉、おじは許可をもらい、一緒に魏明珍さんと面会した。次は魏明珍さんの口述である。

 11月8日、刑務所に着いてから、独房に閉じこめられて、私と2人の受刑者(一人は無期懲役で、もう一人は死刑執行猶予を下された)は3人のグループを作った。この2人の犯罪者は私を恐喝して、2昼夜眠らせず、トイレにも行かせないで受刑者、転向させるように強いて保証書を書かせた。その間、2人の受刑者が私の頭を殴って、私は気絶して倒れた。2人はまた両手で私の髪の毛をしっかりつかんで(髪の毛が引っ張られてよく落ちた)、目の周りを殴って、今でも目の下が酷く腫れている。2人は私の両足を横に大きく開いて、足で私の陰部を踏みつけて、また私を障害者にするぞと言った。力を入れて私の膝の骨を蹴ったり、握りこぶしで肋骨を殴ったりした。最初の何日間、ずっと私を殴ったり蹴ったりして、何回殴られたか、何カ所殴られたかは、はっきりと覚えていない。また、あの2人の受刑者は、「他の人に言ってはならないと言い、さもなければまた殴る」と私を恐喝した。

  私の体に鬱血している所が多くても、刑務所は私に蒸気治療をした。今、(12月1日)までは、歩く時に腰が痛くて、腰をかがめることしかできない。足は力がなく、膝の骨は不自由で、しびれていると感じる。のどがかすれて、意識がぼうっとして、目は物がはっきりと見えない。初め、葫芦島市南票砂鍋屯派出所の崔月が興城留置場で尋問した時、私に15、16回びんたを食らわした。2度眼底出血をおこしたため、私の目ははっきりと見えなくなった。刑務所に着いた後、2人の受刑者に、また握りこぶしで殴られて、目には明らかに鬱血があり腫ができた。今、地面を見てもでこぼこに感じる。あの2人の殺人犯を思い出すだけで恐ろしい。

  その時居合わせた刑務所の政治課の課長・張暁兵と三監区の馬区長は、魏明珍さんの口述に反駁しないで、足を踏みならして烈火のごとく怒った。

  注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照

 2007年12月9日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/7/167920.html