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黒龍江鶏西労働教養所の私に対する迫害

(明慧日本)私は黒龍江省鶏西の法輪功修煉者です、1998年8月、法輪功の修煉を始めました。私はここで自分が受けた迫害を述べて、中国がわれわれ一般民衆に対して何をやったかを暴露したいと思います。

 1998年、私は心臓病が重く、胸が痛くて歩くと呼吸が困難で仕事ができませんでした。家の家計は私の肩にかかっており、生活は非常に苦しいものでした。それでも私は医師を訪ねましたが、一向に治療効果が現れませんでした。そのとき私にとって人生はすでに意味がなく、妻と2人の子供を考えると、気が重くて仕方がありませんでした。

 法輪大法を修煉してから、「真・善・忍」の教えに従い、心を修め、煉功して、数カ月後、心臓病は全治しました、しかも人生の意義を見つけて、どうやれば道徳が高い人になれるかを知りました。

 法輪功が迫害されてから、私は外に出て真相資料を配りました、私は自分の経験で人々に真相を教え、中国のテレビや新聞、ラジオなどはみなウソをついており、信じないでほしいと教えました。2年半前に私は警察に派出所まで呼び出され、夜2人の警官・周天石、汪海洋は私に手錠と足かせをつけ、私に文書を書き、さらに拇印を押すよう迫りました。2005年5月に私は鶏西第二留置場に不法監禁されました。

 留置場では殺人犯を使って私に暴力を振るわせ、床にまっすぐ座らせ、体を動かせず、夜寝るときは場所が狭くて、2〜3人が一つの蒲団を使い、肩を立てなければなりませんでした。大小の便所が全部部屋の内にありました。私はさらに夜間の当直を強要され、毎日4〜5時間しか眠れませんでした。朝食と夕食は堅い雑穀でできたパンでした。

 しばらくして、鶏西市610弁公室は私に2年の労働教養を言い渡し、鶏西労働教養所に送って引き続き迫害を加えました。

 鶏西労働教養所では不法に監禁されている法輪功修煉者を集めて一つの中隊に編成し数十人がいました。法輪功修煉者1人を2人の受刑者に監視させて、重い力仕事をさせました。毎日11時間以上の労働に加え、食事は変質した小麦粉でできたパンと白菜で、まったく量が足りませんでした。布団が湿っていて5〜6日後、私は熱を出し体が衰弱しました。寝る場所が湿っぽいので、間もなく私の体に疥癬ができ、やがて全身に広がりました。疥癬が潰れて非常に苦しかったのです。食事もままならず、労働教養所側にも無視され続けました。最後に私の状態がだんだん重くなったので、彼らは私が死ぬのを恐れ、家族を呼び、お金を払わせて病院へ検査のために行かせました。

 鶏西労働教養所の2年間、そこの警官は法輪功修煉者に対して精神的肉体的に迫害を加えました。そこでは道理が通じず、法律も通じません。あるとき、私は上訴するための書き物をしていたとき、検査の人に発見され、警察の事務所に呼び出され、罵倒され、ビンタされました。

 今年の5月、私が家に帰るまで疥癬は治りませんでした、あそこは本当に邪悪で恐ろしい場所でした。中国の労働教養所に不法監禁されている法輪功修煉者が受けた迫害はこれよりひどいのもあります。

 私が不法監禁されている間、妻は2人の子供を抱えて苦しい生活をしていました。娘は退学させられましたが、それでも警察は絶えず脅しにきました。

 2007年12月14日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/13/166478.html