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遼寧第二刑務所:危篤の李明遠さんの釈放を拒んだ

(日本明慧)遼寧第二刑務所の十三区に不法に拘禁されている法輪功修煉者・李明遠さんは、2006年11月に高血圧の危篤な病状が現れた。家族は重病のため服役中の一時出所を刑務所に求めたが、刑務所は内部の文書を取り出し、次のように言った。老人・虚弱者・病人・身障者、すでに働く能力を喪失した者、60歳以上の者は重病のための服役中の一時出所を取り扱うことができるが、しかし法輪功修煉者は駄目で、「転向」(信条を放棄する)しないと釈放されない。現在、李明遠さんは刑務所の病院にすでに3カ月ほど入院しており、血圧がずっと非常に高い。刑務所は釈放を拒み、また退院するように強い、状況は緊急である。

 李明遠さん(62歳男性)は医師であり、元遼陽国営新華機械工場病院の院長であった。遼陽県首山鎮に在住。李明遠さんは1999年3月に法輪功を修煉し、心身ともに利益を受け、20年余りの病気(冠状動脈性硬化症)が全快した。

 1999年7.20、中国共産党が法輪功を弾圧し始めた。2001年3月15日午後2時過ぎ、遼陽県公安局はパトカーと警官を出動させ、李明遠さんの住宅を包囲した。ドアをたたいても開かなかったので、警官は2階の隣家のベランダから窓を破って家に入った。 その時、ビルの下で見ている人がとても多かった。警官は不法に家財を差し押さえ、師父の肖像、法輪功の書籍、テープ・レコーダーを奪い、現金1万1千元、預金通帳(子供の名義)の3万元(2002年に銀行から預金を出した)を没収した。子供は何度もお金の返済を求めたが、県公安局は返さず、「違法に調達した資金だ」と言った。実際に、1万1千元の現金と3万元の預金は1999年に李明遠さんの所属した工場が破産した時、李明遠さんに再支給した給料と、その上に勤続年数を買い切ったお金を合わせて全部で4万元を銀行に貯金した。李明遠さんが強制連行された後、子供が大学に通っているため、一時的に家計はとても厳しくなり、李さんの妻はしかたなくアルバイトをしていた。この数年ずっとアルバイトをして子供の勉強を支えている。

 李明遠さんは8カ月にわたって県留置所で不法に拘禁され、遼陽県の中国共産党の裁判所に「社会治安を破壊する罪」で不法に11年の懲役を下された。李明遠さんは上訴したが、却下された。2002年の新年以降、李明遠さんは不法に瀋陽大北刑務所で拘禁された。李明遠さんは刑務所で迫害されていた間も絶えず真相を伝え、決して信条を放棄する「三書」を書かなかった。

 2006年11月に李明遠さんは高血圧で危篤な病状が現れ、血圧は上が240、下が120に達した。家族は刑務所へ重病のための服役中の一時出所を求めた。しかし、刑務所は内部の文書を取り出し、法輪功修煉者は「転向」(信条を放棄する)しないと釈放されないと言った。現在、李明遠さんは危篤であるが、刑務所は釈放を拒み、また退院するように強いている。

 2007年12月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/12/168242.html