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天津市在住の法輪功修煉者、精神と肉体の虐待により死亡

(明慧日本)天津市在住の法輪功修煉者・劉彭さんは、法輪功の修煉を放棄しないため、天津市河北区留置場と、天津双口・労働教養所(強制労働収容所)に監禁されていた時、虐待により足に障害が残った。釈放された後も、地元の派出所と町内からの嫌がらせや、恐喝などを受け続けてきた。2007年11月13日、劉さんは冤罪が晴れないまま41歳の若さでこの世を去った。

劉さんの生前の写真

 劉さんは、1966年10月26日生まれ、天津市在住、1997年から法輪功の修煉を始めた。

 2000年10月、劉さんは自宅にいた時、警官に天津市河北区留置場に不法に強制連行された。毎日十数時間の強制労働を強いられた上、毎晩、バケツ3杯の冷水を頭から、かけられるなどの虐待を受け続けた。劉さんは、腰部と下半身が脱臼し、耐え難い痛みと苦しみで、立つことも歩くこともできなくなった。そのため、体を地面に伏せて胸部の支えで移動することしかできず、衣服は全部ボロボロに破れ、体に瘡ができ、膿みが流れ、腐乱していた。ある時は喀血もした。

 このような状況にあっても、警察は、劉さんを天津双口・労働教養所に転送した。当時は真冬日で、大雪が降っていて、立つこともできない劉さんは雪の中に放置され、両足が激しく腫れてしまい、瘡と、膿みとが衣服に張り付き、傷口からは悪臭を発した。劉さんは激痛に耐えながらも、自分でスプーンを使い、足の瘡をくり抜いていた。

 2001年、中国共産党はオリンピックの招致に成功したのを受け、国際社会の圧力により一部の人を釈放した。劉さんはそのうちの1人だった。釈放されても、劉さんの足はよくならず、長く立っているとひどく腫れてしまい、生活に困難をきたした。劉さんの妻は失業しているため、劉さんは、体を引きずりながら、仕事を探していた。

 窮地に立たされている劉さんは、現地の派出所と町内から、絶えず嫌がらせを受け、監視・恐喝を繰り返しされていた。町内の幹部は、「法輪功修練者には懲役の期限なんてそんなものはない。刑務所を出たとしても、何年でも監禁できる」と公に発言していた。共産党の記念日になると、このような悪質な「面倒見」がさらに強くなり、周辺地区では法輪功修練者が逮捕される度ごとに、劉さんも一緒に取り調べを受けた。 

 このような心身と肉体の重圧に苦しみなら、劉さんは2007年11月13日、10歳の娘と妻を残し、冤罪が晴れないまま、この世を去った。

 (注):法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照

 2007年12月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/17/168551.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/12/18/92235.html