日本明慧
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パスポートを紛失して考えたこと


 文/ドイツ大法弟子

(明慧日本)数日前、パスポートを紛失してしまいました。私はイライラしながら、ありとあらゆる場所を探しましたが、どうしても見つかりません。アルバイトで仕事をしている時、授業を受けている時、また歩いている時、食事の時、更に寝る時も、私のパスポートはどこにあるのだろう? どうしてなくしてしまったのだろう? 早く探さなければ、ということばかり考えてしまうのです。

 後で、気付いたのですが、私は法を正し、人々を済度する時、これほど気を遣ったことはなかったと思いました。ある時、協調責任者から、「皆は全力で、『神韻芸術祭』を本当に支持しているのですか?」という内容のメールが届いた時、私は直ちに「全力でやっている」と返事をしましたが、その時「全力を挙げる」と言うのはどういう意味であるのか、全然理解していなかったと思います。

 私は本当に「全力を挙げて」いたのでしょうか? パスポートの紛失事件と比べれば、一目瞭然でした。自分のことと、大法を正すことにおいて、自分の心の中にこのような、はっきりとした境界線があって、「私(し)のために」という利己心が、まだこんなにも根強いのです。気の遣い方が、こんなにも違っていたのです。問題は、ここにあるのです。

 入場券の販売促進についても同じことですが、同修の皆さんは内に向かって自分を探してほしいのです。法を正し、衆生済度することに関して、本当に全力を挙げているでしょうか? 自分の心性は本当に法の要求に達しているでしょうか?

 最近、同修たちは集団で法の学習を始めています。ニューヨークの販売促進のことについても、なぜ売れ行きが良くないのか交流しています。私が思うには、先ず、我々は「正確でなければ正常ではない」状態を否定しなければなりません。この苦しい状況は、我々、修煉者にとっては修煉の「絶好のチャンス」であると考えている同修もいます。確かに、如何なる状況の下でも、我々は修煉ができます。しかし、この正常ではない状態を絶対認めることはできません。それは、迫害が始まっても我々は、「正念」をもって修煉していますが、迫害を絶対に認めてはいけないことと同じなのです。 

 師父は法を正されておられますが、このような妨害の要素を認められるのでしょうか? 邪悪は我々大法弟子の認識不足を口実に、隙に付け入って妨害しているのです。強大な正念を持って、不正確なこの状態を否定することは、とても大事なことであると我々は思っています。

 2007年12月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/16/168487.html