法を実証する中における師父と大法への堅い信念と正しい悟り
(明慧日本)修煉者にとって、修煉の道において師父と大法への堅い信念と正しい悟りが貫かれています。磐石のように堅い信念があるからこそ、法を実証し、衆生を救い済度することにより、最後の円満成就を遂げることができます。
師父と大法への堅い信念によって、法理を正しく悟ることができるようになり、心性が向上し、法理と智恵が表れようになります。ここで堅い信念について、自らの認識を語り、修煉者と交流したいと思います。
1999年7.20以前、私は『イエス伝』を読んだ記憶がありますが、その中に一つのエピソードがありました。イエスが弟子たちを連れて海に出て旅をしていたある日、突然曇りになり、風や波が激しくなり、船はいつ転覆してもおかしくないほどひどく揺れていました。弟子たちは驚き慌ててどうしてよいか分かりませんでした。しかし、その時イエスは寝ており、いくら呼ばれても起きようとしません。船はさらにひどく揺れ、仕方なく、弟子たちはイエスを起こしました。イエスはゆっくり立ち上がって、空に向かって大声で説教し、そのとたん不思議にも、風や波が直ちに収まり、太陽が出てきました。
弟子たちは喜びの叫びをあげました。しかし、イエスは弟子に「貴方たちの正しい信念はどこにありますか?」と厳しく話しました。弟子たちはしんと静まり返りました。確かに、船が転覆しそうになった時、弟子たちの誰が熟睡しているイエスの安全を心配したでしょうか? どれどころか、弟子たちは皆、自らの安全しか考えていませんでした。利己的に助けを求めるのは、決して修煉者の心持ではありません。
ここ数年を振り返ってみると、師父は慈悲な心で私たちに教えておられるにもかかわらず、私たちは人心に阻害され、悟ることができなかったのです。もし私たちは真に師父を信じ、法を信じていれば、この邪悪による迫害がありうるのでしょうか? 師父はかつて「いかなる心も動じなければすべての変動を制することができます」(『米国中部における説法』、1999年6月26日)とおっしゃいました。これだけですべての邪悪を取り除くことができます。私たちには不足があることから、私達の人心がこの迫害を招き寄せてきました。
いずれの人心も師父や大法への堅い信念を崩しかねません。信念が不純になっていくと、揺れ動いたり、落ち着かなかったりして、冷静な理性を失ったりして、三つのことがしっかりできなくなると、衆生を救い済度することに対して良い影響をもたらすことができるでしょうか?
もちろん、大法には奥深い意義があり、私も自分の現段階での認識を話したに過ぎません。師父や大法へのいささかな疑いも、修煉の道の妨害になると思います。さらに、利己的で自らに何かを求める心は、いずれも汚いのです。師父は私達が表に出て活動に参加することを期待していらっしゃいますが、私たちはなるべく良く行い、努力すべきだと思います。衆生は救い済度を待っています。師父は大法弟子を円満成就させ、宇宙の衆生を救い済度しています。大法の中で、信念を固めて行きましょう。
2007年12月21日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/11/5/165945.html)
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