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遼寧省遼中県の法輪功修煉者・呉連鉄さんが迫害され死亡した事実

(明慧日本)2005年4月13日、呉連鉄さんが遼中県国保大隊と茨楡垞鎮の公安支局局長ら数人の警官に強制連行され、2005年12月、懲役8年の不法な判決を受けて、磐錦市刑務所第三大隊に監禁された。2006年5月24日、呉さんの家族は、刑務所からの通知で面会に駆け付けたところ、呉連鉄さんはすでに迫害され死亡しており、遺体は「遺体安置所」に冷凍されていた。

 情報によると、2006年5月15日、呉さんが管教建物にある思想改造施設に来た時、管教ビルの廊下で、警察中隊長・王魁相と出会った。その時、呉さんは帽子を被っていた。隊長・王は「お前は政府の人と会うのに、なぜ帽子を取らないのか? 」と言われた。呉さんは「私は犯罪者じゃないのになぜあなたの前で帽子を取らないといけないのですか? 」と答えた。その時、王は呉さんの顔に2回びんたを食らわせてから、2階の立ち入り禁止室へ連行し「トラの椅子」(刑罰道具)に半日手錠を掛け拷問した後、刑務所に戻した。 

 呉さんは、迫害に反対し断食抗議を始めた。断食から7日目の時に4回目の強制的迫害で、喉から食物を注入された時には、今までと違った悲鳴をあげていた。その後、第三中隊・許彦林は呉さんを刑務所の宿舎に戻したが、その夜から、呉さんの大便には血が出て止まらなかった。許は呉さんを配水室に連れていき、血だらけになったズボンを脱がせ冷たい水で流し洗った。

 翌日の昼ごろ、呉さんはさらに悪くなり、危篤状態になったので、刑務所の医師・李寧が来て血圧を測るとゼロになっていた。脈はかすかにあった。李医師は、管教科長・王忠海に「病院に送りますか? 」と尋ねると、「もう少し待て、台所に人が来て食事を作る時に送る」と答えた。

 5月22日午前3時ごろ、呉さんが、既に死亡していたことを知ったうえで、病院に送った。病院についた時、入院中の受刑者を呼び起こし、「危篤状態に堕ちた患者が来た」と叫んだという。

 法輪功修煉者の呉連鉄さん(48歳男性)は、遼寧省の瀋陽市遼中県茨楡垞鎮に在住。1998年7月から法輪功の修煉を始めた。村では誰からも、とてもよい人と言われていた。何の罪もない呉さんは、警官による残虐な迫害で死亡した。警官は死亡した後も家族を騙して、「急病で死んだ」という偽造の書類を家族に見せサインするよう強要し、証拠を隠すため遺体を慌てて火葬してしまった。

 磐錦市刑務所は法輪功修煉者・呉連鉄さんを虐待し、死亡させた事実は証拠が確実で揺るぎない。

 (注):法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照

 2007年12月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/21/168752.html