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遼寧省:警察に銃で撃たれた遼河油田の鄭群明さんは冤罪でこの世を去る

(明慧日本)遼寧省遼河油田物探会社電気機械設備会社の運転手・鄭群明さん(42歳男性)は、2007年7月18日瀋陽市の某病院で亡くなった。まだ42歳の若さであった。彼の死亡は中国共産党による法輪功修煉者への迫害と直接関係がある。

鄭群明さん

 法輪功修煉者・鄭群明さんは1995年に法輪功の修煉を始めた。法輪功への信仰は彼をもともとのならず者から「真・善・忍」に従う素晴らしい人間に変えた。2000年8月、留置場に強制連行され16日間監禁された。2003年の年末、勤務先の共産党の書記と泰山公安出張所の警察は結託して、鄭群明さんを撫順市の洗脳班に連行しようとしたが失敗に終わった。2004年3月14日朝5時20分頃、通勤途中、遼河油田公安局泰山公安出張所の警官・趙慶哲らに銃で撃たれて連行され5時間監禁された。当時、数人もの警察が加わり、鄭群明さんの頭、腰、目、胸、背中、足を殴ったり、蹴ったりして体中傷だらけにした。目が青く腫れ、右側のこめかみが2ミリ腫れていて、腰の傷は痛みが走り、立つことさえできず、心身ともに大きなダメージを受けた。

 その後も亡くなるまでずっと監視され、自宅に戻った後も日常生活をかき乱された。さらに迫害で傷ついた体は回復の見通しがないまま、勤め先の上司から出勤するように迫られた。勤め先でもずっと監視され体の自由はなく、精神的・肉体的に大きいダメージを受けた。打たれた傷が治らず、2007年7月18日に瀋陽の某病院で亡くなった。42歳であった。現在、鄭群明さんの妻は仕事がなく、子供は中学校に通っているが、収入がなく生活ができない状況に陥っている。

 鄭群明さんは銃で撃たれた後、事実を記録し、関係部門に訴え続けた。胡錦涛にまで手紙を書いた。返事は手紙を受け取ったという証明だけ送られてきた。そのほかに何も書かれていなかった。この殺人事件に関して、今まで、誰も責任を取らず、受理しようともしないままである。

 鄭群明さんの書いた手紙(省略)

 2007年12月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/24/168951.html