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内モンゴル自治区:田心さんは労働教養され、家財を没収

(明慧日本)2007年7月20日、田心さんは再び連行され、家財など1万元以上のものがホルチン区(科区)公安の警官に没収された。田さんは河西留置場に1カ月ぐらい監禁され、その後、密かにフフホト市女子労働教養所に移送、不法に2年の労働教養を科された。

 田心さん(34歳女性)は、元教育印刷工場の職員で、2回にわたり不法に監禁されている。悪名高い図牧吉労働教養所に入れられ、不法に2年間の労働教養の判決を受けたが、途中で釈放された。田心さんには6歳に満たない幼い息子(郭思源)がおり、夫と離婚し、親子2人で何とか生活していた。息子がまだ3歳になる前から上京して法輪功の真相を訴えたため、35日間、不法に監禁され、親子離れ離れの生活を送ったことがある。

 2006年7月20日、田さんが再び強制連行され、河西留置場に1カ月不法に監禁され、その後、密かにフフホト市女子労働教養所に移送され、2年間の不法な労働教養を科された。今回の連行計画はホルチン区610弁公室、ホルチン区公安支局、永清公安出張所などの陰謀結託のもとで行われた。

 2006年7月20日当日、田さんはいつも通り出勤した時(元の仕事を失い、永清公安出張所で清掃員の仕事をしていた)、監視役が田さんに民警・劉麗から給料をもらうように言われ、劉麗のところに行くと、指導員のところに行けと言われた。指導員の事務室に行くと局長が田さんを呼んでいると言われた。はじめて、怪しいと思ったがすでに遅かった。指導員は田さんのカギとMP3を奪い取り、ほかの2人の警官を呼び寄せて抑えつけた。その後、用意していた車に押し込んで、田さんの借りていた住まいに連行し、家の中をビデオで撮影した後、PC、プリンターなどの家財を没収した。

 その後、警官は田さんをホルチン区公安支局に護送した。途中、田さんはずっと「法輪大法は素晴らしい!」と大声で叫んだ。永清公安出張所の男・女警官は田さんを椅子に座らせ手錠をかけて監視した。トイレに行く時も椅子を持ったまま行かせた。脱出はまったく不可能であった。

 午後になると、警官は田さんの両手を体の後ろに回して手錠をかけたまま、河西留置場まで連行した。河西留置場では田さんは絶食をし、不法な監禁に抗議した。その間、王波、邵軍、胡局長らに何度も尋問された。特に、王波は言葉で虐待した。邵軍と胡局長らが「転向書」にサインするように強制したが、拒否した。裁判所から担当者が来た。

 絶食中、天気は暑く、非常に苦痛であった。7日間経過後、初めて鼻から強制的に食物を注入する虐待に遭った。6人の受刑者がやってきて無理やり手、足、頭を抑え、食物を管から注入した(灌食)。田さんはずっと「法輪大法は素晴らしい! 法輪功への迫害を直ちに停止しろ!」と叫んでいた。

 灌食期間中、田さんは非常に苦しんだ。彼らは監禁室に閉じ込めた。当時、田さんは全身の力が抜け、服が汗でべたべたになっていた。しかし、警官・烏雲は田さんをベッドに横にさせず、注入したものを吐き出させないように受刑者に命令し抑えていた。

 2回目も刑務所の医師が田さんに管を鼻から挿入して灌食し、その苦痛は毎回皮膚を剥がれているかのようである。口腔中が潰瘍になり、血が出て、空腹で吐き気がする。刑務所の馬医師は非常に悪質な人間で、灌食するとき、いつも下剤を一緒に注入するように命令していた。薬を注入されてから腹痛が起き、空腹で下痢も出ないがお腹は痛くなる。その後も、塩水と下剤を注入していた。体が衰弱し彼らは点滴を強制したが、血管が見つけられなかった。

 8月20日午後2時ごろ、ホルチン区公安支局の鄒玲ら4人の警官は田さんを留置場からフフホト市女子労働教養所に護送した。田さんは途中でも、ずっと「法輪大法は素晴らしい!」と叫び続けた。同労働教養所は形だけの健康診断を行い、田さん本人が同意書にサインをしていないのにもかかわらず、何の手続きも無いまま受け入れた。彭隊長は田さんを第二大隊に入れ、その後第三大隊へ移した。田心さんはいまだにフフホト市女子労働教養所に不法に監禁されている。

 2007年12月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/24/168949.html