吉林省乾安県:60歳の老人への迫害事実
(明慧日本)私は60歳を超えた田舎の老人(女性)で、以前、全身にいろいろな病気があり、人生の大半は苦しみに満ちていた。1997年9月末、幸運にも法輪大法を修煉し始めた後、全ての病気がなくなった。私の体の大きな変化は周りの多くの人に法輪大法の不思議な力を見せることができ、彼らも法輪大法の修煉に入った。村に煉功場が設けられ、みんなで一緒に集団学法、集団煉功をしていた。毎日大法に触れることができた私は、とても幸せだと感じた。
しかしよいことは長続きしない。1999年7月20日、中国共産党はデマを飛ばし法輪大法を誣告して罪に陥れた。大法の潔白を実証するため、法輪功の真相を伝えるため、私と同修は省政府へ陳情に行った。しかし、省の信訪弁(民衆の陳情を受け付ける部門)は我々の陳情を受け付けないため、仕方なく我々は家に戻った。その後、現地の警官・解臣、馬福祥、楊徳永らがよく家に来て私生活を妨害した。私はしばらく愚かに彼らを信用していたが、それから目が覚めて、彼らが法輪大法を誣告している、私は彼らに協力してはならないと悟ることができた。
それから私と同修は北京に行き、真相を伝え陳情しようと決めて、2001年7月16日に出発した。北京に行く途中で「法輪大法は素晴らしい」と書いた張り紙を貼りながら真相を伝えていた。悪い人に告発されて、7月17日、我々は宝康派出所に不法に捕えられ、現地警官・趙彦海、袁野などの迫害を受けた。そして、37日間不法に拘留された後、長春黒嘴子労働教養所に入れられた。労働教養所第五大隊で看守たちは方法を使い尽くして私を「転向」させようとしたが、私は毎日法輪大法を暗記していた。「転向」しない私を見て、ある夜、当番の警官がスタンガンで残酷に電撃し、私は本心を偽って保証書を書かされた。心の中はとても苦しかった。
2002年2月、私達は警官に李洪志先生を摘発して批判する文章を書かされ、国連に送り届けると言われた時、私は非常に苦しんだ。明日は勇気を持って警官に以前書かされた「保証書」が無効だと主張する、李洪志先生を裏切ることをしない、先生と法輪大法を信じると決意を固めた。翌日私は声明文を書いて警官に出した。警官が読んで私を看守室に呼び出し、刑期を延長すると恐喝した。私は、好きにしてください、と言った。警官の言うことは当てにならず、我々の先生が言われることこそ信頼出来ると私は思った。留置場のリーダーが、ここまでにしよう、あんたはいい人で、仕事もしっかりしている、延長なんかはしないよ、と言った。
2003年10月17日、県公安局「国保大隊」(公安局に所属する「国内安全保全大隊」のことで、法輪功迫害に大いに参与している)の警官・宋学娟、賈宏富、李彦波らが私の家に不法に侵入して、『転法輪』の本1冊と煉功音楽テープ1本を押収した。私は留置場に強制連行され、再度不法に労働教養1年半を判決され、9カ月後に出所した。
家に帰った後、村の治安保安主任・白広才はよく家に来て私生活を妨害したので、私は引っ越した。
2008年1月1日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/12/30/169283.html)
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