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北京:上級会計係の張連英さんが受けた迫害

(明慧日本)不法に2年半労働教養された北京の法輪功修煉者の張連英さんは2007年12月13日に釈放された。

 張連英さんは、2005年6月14日、北京香河園派出所の十数人の警官に連行された。当時彼女はまだ乳呑み児の娘の面倒を見ていた。6月30日、不法に2年6カ月の労働教養を言い渡され、北京労働教養人員派遣処へ送られ、2006年4月には北京女子労働教養所へ移された。

 これは張連英さんが2回目に不法に労働教養されたものである。しかも如何なる手続きもなかった。釈放時、労働教養所は法の手続きの名目で、張さんにサインを求めたが、彼女にきっぱりと断わられた。

 張連英さんはもともと光大グループの処級幹部だった。31歳で公認会計士になり、32歳には光大グループ某処の処長になった。彼女は人柄がよく、業務能力の強い主流社会のエリートだった。法輪大法を修煉してから、彼女は処長として与えられた120平米の住宅を同僚に譲った。真・善・忍を信仰するこれほど善良な人だったが、警官に何回も連行されて、留置場、労働教養所に監禁され、非人道的な迫害を受けた。

 張連英さんは北京労働教養人員派遣処と北京女子労働教養所で以下の迫害を受けた。

 1、故意に殴打され、頭部に負傷をした。

 2、縛られて、長時間睡眠を与えられず、トイレに行かせず、生理時にもトイレに行かせなかった。

 3、罵られるなど非人道的な精神的な蹂躙を受けた。

 4、面会と通信、電話をかける権利を奪われ、親族は張連英さんの情況を知らず、生死さえも知らず、極めて気がもめていた。張連英さんの2〜3歳の娘は長期に亘り母に会えず、母に扶養される権利を奪われ、幼い心はひどく傷つけられた。

 5、警官は強制食物注入を理由に、何回も家族から数千元をゆすった。

 苦情を訴えるところがない情況下で、張連英さんの夫・牛進平さんは、2006年5月21日、調査のため中国を訪れた欧州議会の副議長を通して、張連英さんの遭遇した迫害を国際社会に暴き出した。

 残忍非道な迫害により、張連英さんは北京労働教養人員派遣処に監禁されていたとき、顔面に数カ所も長さ3センチの深さの異なる傷跡ができ、顔面が変形し、その後顔色が真っ黒になった。足の裏には尖ったもので刺した黒い点が残り、腰を動かすことができず、身体をねじることができず、左脚は腫れてとても太くなった。また精神も朦朧としていた。北京女子労働教養所で9回も意識不明になり、脳出血を起こして、危篤状態に陥った。このような状態であっても、北京女子労働教養所は依然として釈放しなかった。

 北京女子労働教養所は張連英さんの親族と外界に対して、自分達の犯罪行為を隠すために、張さんが釈放される前の暫くの間、彼女に対する迫害を減らした。たとえこうしても、家に帰った張連英さんは依然として顔色が青白く、やつれていて、身体にはまた青紫の大きな傷跡が残っていた。

 2008年1月1日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2007/12/18/168622.html