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河北省・天津市・黒竜江省・遼寧省の数人の法輪功修煉者が迫害され死亡

(明慧日本)丁桂珍さん(女性)は、河北省秦皇島市北港鎮在住の法輪功修煉者。2004年5月22日、丁さんは娘と一緒に、秦皇島市山海関区外峪村で真相資料のチラシを配布ながら、スローガンを貼っていた時、真相を知らない人に密告され、高建庄公安出張所に不法に連行され迫害を受けた。丁さんと娘は、夜中まで拷問を受け、2人の両手をベッドに手錠で固定し、動けないようにして警官は休みに行った。夜中3時ごろ、娘は手錠を外して脱出することができたが、残された丁さんは2日間、残虐な迫害によって、おう吐が止まらなかったばかりか、歩くことも出来なくなった。責任を取ることを恐れた警官らは丁さんを釈放したが、自宅に戻った丁桂珍さんは、残虐な迫害によって冤罪が晴れないままこの世を去った。丁さんが亡くなった後、娘はまた北港鎮公安出張所に不法に連行された。その後、秦皇島市第二留置場に監禁され迫害を受けた。6日後、虐待によって体が衰弱したため釈放された。自宅に戻ってから、常に警官によって私生活を侵害され、家財など私有財産は没収された。それだけでなく、2004年10月13日、娘は自宅から警官に不法に連行され唐山開平女子労働教養所に入れられ、1年間不法に労働教養を受けた。

 康淑栄さん(47歳女性)は、天津市薊(ケイ)県東施古郷柳子口村に在住。学校に通ったこともない中国農村の農民である。2000年に上京して法輪功の迫害は間違っていることを訴えたため、2000年12月25日、薊県公安局に強制連行され1年6カ月間も不法に労働教養を受け、天津市女子労働教養所に監禁され残虐な迫害を受けた。高血圧で血圧が250まで上がったにもかかわらず、労働教養所の中で警官は麻薬常習犯に指示して様々な拷問を繰り返した結果、2002年9月、康さんは47歳で冤罪が晴れないままこの世を去った。

 地元公安出張所の所長・菜井祥と警官・キョク愛民は以前、康さんの自宅に何度も侵入して嫌がらせをしていた。

 陳軻(カ)さん(70歳女性)は、天津市河西区の法輪功修煉者である。この数年間、頻繁に強制連行され、不法に労働教養を受け、心身ともに大きなダメージを受けていた。陳さんの知り合いの話によると2005年頃、天津市河西区留置場に不法に監禁されている時、毒物を混ぜた食糧を「灌食」したことによって死亡した。

 緒瑞君さん(女性)は、天津市大港油田の退職者。法輪功を修煉する前は子宮癌にかかり、病院で治療不能の診断を受けた。しかし、法輪功の修煉をし始めると、体が徐々に回復し健康になった。2001年法輪功の真相資料を配布しているところを中国共産党の警官に強制連行され、天津女子労働教養所に入れられて迫害を受けた。緒さんは、残虐な迫害の前で怖くなり、いわゆる「転向」に応じてしまった。それによって法輪功の修煉をやめると体が以前のように弱くなってしまった。2004年に釈放された後も中国共産党の迫害により修煉する環境を失い、体が衰弱した緒さんはこの世を去った。

 張麗仙さん(67歳女性)は、黒竜江省ハルピンの法輪功修煉者である。法輪功を修煉後、今まで苦しんできた様々な病気は痕かたもなく消え、健康な人に生まれ変わった。しかし1999年7.20、法輪功が中国共産党によって迫害され始めてから、娘が連行され、張さんも道外大同公安出張所の警官に脅迫されたため、家に帰ることができず、路頭に迷い、生活に困難をきたした。張麗仙さんは、心身ともに疲れ果て、2007年6月6日にこの世を去った。

 エン秀芝さん(63歳女性)は、黒竜江省双城市水泉郷大徳村に在住、法輪功修煉者である。1999年7月22日、黒竜江省政府に行って法輪功の真相を伝えた。また、2000年6月と12月にも上京して法輪功の真相を訴えた時、北京で警官に強制連行され、残虐な迫害を受けて2003年4月にこの世を去った。

 王儒芝さん(65歳女性)は、遼寧省大連開発区の法輪功修煉者である。息子とその嫁も皆、法輪功を修煉している。1999年7.20以後、警官によって私生活がを侵害され、息子は大連の教養院に不法に監禁されて迫害を受けた。息子の嫁も、世界でも悪名高い馬三家教養院に監禁され迫害を受けた。孫は当時わずか3歳で、王さんは孫の面倒を見ながら精神的、経済的に大きなダメージを受け、修煉の環境を失い、重病にかかった。2007年5月3日、冤罪が晴れないままこの世を去った。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年1月4日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/3/169514.html