日本明慧
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自分の特長を生かし、衆生を救い済度する


 文/大法弟子

(明慧日本)師父の経文『ご挨拶』と『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』のビデオを学んで、衆生を救い済度することの緊迫性がますます強く感じられました。更に多くの衆生を救い済度することは我々が当然負うべき責任なのです。ここ数年間、真相を伝え、「三退」を勧めることの経験と周りの同修の状況を総括して、自分の会得を同修の皆さんと交流したいと思います。不適当なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。

 「法を師にする」と、師父が教えてくださいましたが、(《洪吟 二》<阻む無し>)の中で「修煉の路(みち)同じからず 都(すべて)大法の中に在り」とおっしゃいました。他の同修が一日に多くの人を「三退」に成功させたのに、自分は数人しか勧めていないと思うと、焦ってしまう同修もいれば、「三退」を勧めても、なかなか思い通りにならないという同修もいるのです。この中には自分が精進していないことや、個人の執着などと関係がありますが、個人の先天的な要素とも関係があると思います。我々はそれぞれ違う根基、先天的な要素、生活や仕事の環境も違いますので、師父もそれぞれ違う修煉の道を按排されておられるのです。ですから、真相を伝え、衆生を救い済度するという道のりの中で、全員が同じことをやるというわけではありません。外交的で、人付き合いがうまく、口が達者な同修もいれば、口下手で、内向的だが、チラシの配布をうまくやれたり文章をよく書けたりする同修もいるのです。

 私の周りにはこのような同修がいます。よく話すことをしないと、自分を咎め、自分の口から真相を伝え、自ら「三退」を勧めて初めて、衆生を救い済度することを行うことになると思い込んでいるようです。このような人は認識不足ではないかと私は思っています。我々大法弟子は一つの全体です。一人一人の大法弟子は皆一粒子であり、皆それぞれの特長を持っているのです。だから、お互いに補い合い、協調し合って、真相を伝え、衆生を救い済度する時に、自分の特長や長所を活かすようにしなければなりません。例えば、口下手な同修なら、真相資料を配ったり、真相の手紙を出したり、真相を伝える同修に正念を発したりする。弁舌な同修なら多くの人々に真相を伝え、筆の立つ同修なら文章を書けばいいのです。真相を伝えるには、口で伝えると断片的に理解しないようにしてほしいです。一枚の真相チラシ、真相資料や短い片言でも皆衆生を救い済度するという強大な信息が付いているのです。

 真相資料に関しても、また真相チラシにおいても、同修の皆さんの努力したおかげで、ますます説得力が強くなってきたのです。特に真相資料を見てから、大体の真相が分かると言う常人も少なくありません。そして、一度その常人に法輪大法がすばらしいということが分かると、もう救われることになるのです。師父は『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』の中ではっきり教えてくださいましたが、大法の真相が分かり、法輪大法が素晴らしいと分かる人、或いは、「三退」した人は皆、救われるのです。真相資料を読んで、自分から大紀元に「三退」の手続きをする常人もいるのです。くれぐれも真相資料の威力を軽視しないでほしいのです。衆生を救い済度することにおいて、真相資料を更に多くの人々に配ることは、とても重要なことなのです。

 勿論、このことを行えばそれでいいと、いう意味ではなく、我々は十分に自分の特長や長所を生かしながら、全体として協力し合うようにしてほしいということを言いたいのです。もし、大法弟子の一人一人は皆自分のやるべきこと、やれることを全部やり遂げれば、それも力強い全体を形成することになり、それにより衆生を救い済度することの力も強くなり、救われる衆生の数も更に多くなるのです。そうすれば、我々も更によく、史前(人間界に来る前)の大願を全うし師父を助け、法を正し、また法を正す時期の大法弟子という称号に恥じないと思います。

 2008年1月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/3/169513.html