日本明慧
■印刷版   

大法弟子よ、「大また」で進んでいこう

(明慧日本)昔ある段階で、トラブルが発生したとき、黒い色と白い色をしている2人の小さな人が私の目の前に現れて、黒い人は左に、白い人は右に立っていたのです。白い人はとても若く、顔がぼんやりしていて、はっきり見えませんが、私と似ていて、白い薄着を身にまとい、座っていて、白い光に包まれているのです。黒い人も私と同じ顔立ちですが、黒い格好をしていて、床に横たわって肉を食べていました。そしてそばにビール瓶が置かれていました。私が怒っている時、この2人の小さな人が「会話」(実は一種の信息である)をはじめました。黒い人は、恨みや憂さを晴らすような言葉を言って私の肩を持っているようにみえましたが、実は皆大法に符合しない話なのです。それに対して、白い人は、落ち着いて師父のおっしゃったことを話し、『洪吟』を暗誦して聞かせているのです。最初は、彼ら2人は交互に話をしていましたが、最後は白い人は黙ってしまい、足を組み、目を閉じて座禅をしてしまいました。しかし、彼はやはり私に関心を寄せ、私を待っているように感じました。

 神が見守っている

 私の闘争心がずっと取り除かれていません。ある時、私は他人の話に気を悪くして、歩きながら「この野郎」と心の中で罵っていました。すると、急に「怒らないで、怒らないで」という声が頭に浮かんできて、また色々な話をしてくれました。しかし、私は心性が守れず、その声に向かって、「私の勝手だ、もう構わないでくれ!」と叫びました。しかし、その生命は怒ることなく、そこで静かに私を見つめています。それを見て、私はやはり鬱憤を晴らせず、「このように叫んでいるのに、なぜ答えないのか、怒ったのか!」とまた叫びました。すると、その生命は落ち着いて「私は怒ってはいません。私は「神」であり、人間ではありません。人間の言うことを気にしないのです。」と答えました。それを聞いた途端、私は、自分はなんと卑屈なことだろうと思い、自分はもう人間の次元に落ちてしまい、或いは、人間にも及ばないと分かりました。すると、体の中から何かがむしり取られたよう気がして、体が急に軽くなり、怒りがおまるようになりました。あんなに怒っていた自分のことを思うと、とても可笑しく思いました。

 後で考えると、もしかすると、私を怒らせようとする魔が「神」によって取り除かれたのかもしれないと認識し意識するようになりました。

 神がすぐそばにいる

 時には、精進しなければ精進しないほど、追い付いて行く自信を失ってしまいます。大法が素晴らしいとわかっているのに、なかなか師父の要求されたとおりにできなかったのです。そして、なやみ重荷となり、段々落ち込んでしまいました。

 ある時、「それを突破しなさい」という男性の声が急に頭の中で響きました。「いや、私には出来ません」と私は悲しく返事をしました。「消極的な気持ちも魔であることを知っているのではありませんか? 以前、明慧ネットにこの文章を投稿したでしょう?」とその人から言われ、私は黙り込んでしまいました。「生老病死、悲しさ、消極的な気持ち、それは魔なのです。それを突破すると、直ぐ消えるのです。たくさんの人、衆生は皆あなたを待ち望んでいるのですよ」とその人が話し続けました。その時、亡くなったおじいさんとおばあさんの面影が目の前に浮かんできました。「あなたは誰ですか? どこにいるのですか?」と私がその声に向かって聞くと、「私はあなたで、あなたは私です。しかし、私は完全にあなたであるとは言えません。私はずっとあなたのそばにいるのです。師父もあなたのそばにいて、ずっとあなたを見守っています」とその人が答えました。その時、私の目から涙が溢れ出ました。

 「教えてくれて、ありがとう」と私が言うと、「こちらこそ、本当のことを話すことができて感謝しています」と彼が言いました。「この事を書いて投稿したい」と私が言ったら、「今はまだだめです。あなたの自己顕示欲がまだ取り除かれていませんから」と彼は言いました。

 このことがあって随分、経ちましたが、もしこの文章は同修の皆さんに少しでもお役に立てば、どうぞ発表してください。これをきっかけに自分の色々な心を取り除こうと思っています。もう最後の最後に入りました。同修の皆さん、落ち込まず、惑わされず、「大また」で進みましょう。「師父」と「衆神」が私たちのそばにいつもいるのです。そして衆生は、私たちを待ち望んでいるのです。

 2008年1月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/7/169784.html