日本明慧
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一つの考えや閃きを逃さないように


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)私は個人経営のある小さな風呂屋によく行っています。その風呂屋は開業してまだ日が浅いので、お客を呼ぼうと、若者には1回3元、年寄りには1回2元の料金を取っています。私はよく行きますので、2元というようになっていました。

 昨日、風呂屋へ行き、10元を渡したら、7元がお釣りとしてもどってきました。前回の時より1元多く取られてしまいました。その時、私は何も言わなかったのですが、ドキッとしてしまいました。はっきり覚えていませんが、ちょっと気分が悪くなったように感じました。そこで、私は落ち着いて内に向けて探してみました。ただの1元なのに、心が動じるなんて、それは私心ではありませんか。小さいように見えますが、根本的な執着心が中に潜んでいたのです。それを取り除かなければなりません。

 もっと深く考えると、この風呂屋は経営するために、電気、ガス、水道代、従業員の賃金などを支払わなければなりません。それに物価がどんどん高くなってきているので、この風呂屋の経営は、本当に大変でたやすいことではありません。修煉者として、最初からこの優遇を受けてはいけなかったのです。お年寄りでも、若者でも、経営者に支払う代金は同じなのです。もう何カ月も優遇されてきたのに、急にその優遇がなくなると、直ぐ気分が悪くなる。人の欲望というのは本当に底無しなのです。しかし、これは後天で形成した人心ですから、徹底的にそれを取り除き、事あるたびに先ず相手のことを思い、無私無我の正覚まで成就するようにしなければなりません。このように考えたら、全身がエネルギーに包まれているかのように感じました。今後は、買い物をする時、選ぶとか、値段の掛け合いをすることなく、また飲食に関しては、好き嫌いのないようにして、悪口を言われても気にしないよう、対処していこうと心に決めました。

 「最後になればなるほど精進すべきだ」と師父がおっしゃいましたが、私が思うには、最後になればなるほど、一つの考えや一つの閃きを大事にしなければなりません。小さいことであろうと、大きいことであろうと、それに執着すれば、皆深刻な問題になってしまうのです。ですから、法に則ってそれを正し、心性を高めるようにしなければなりません。

 不適当なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。

 2008年1月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/5/169628.html