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『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』を学んでの感想


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)私は『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』を10回くらい学びましたが、一番感銘深かったのは「衆生を救い済度する」と言うことでした。神聖な使命を負っている法を正す時期の大法弟子としては、日ごろ世の人々と付き合うときに、心性の向上を第一位に置くべきであり、一度常人とトラブルを起こしてしまうと、常人に悪い印象を与え、私たちのよくない表現により、その常人が地獄に落ちる可能性があるということです。

 次は私の経験と結び合わせて、このことについての会得を話したいと思います。私はある国営の大手メーカーの高級エンジニアです。法を得てもう10年近くなりました。6年前、ある研究課題について責任者を担当してほしいと上司から言われました。その課題について実現の可能性を分析すると、成功する見込みがなく、また責任担当者になると、とても忙しくなり、法の学習や煉功する時間が少なくなることを心配したため、断りました。しかし、その課題は上級機関から下達してきた仕事なので、やらないわけにはいかなかったのです。私の返事を聞くと、上司はきげんが悪くなり、「あなたは高級エンジニアだから、これを担当しなければならない」と言いました。「たとえ格下げされたとしても、それをやらない」と私が固辞したので、仕方なく上司はその課題を私よりポストの低い他の同僚に持ちかけ、半年後、その課題は取り消しになってしまったのです。私は格下げされなかったのですが、自分の負うべき責務を全うしていないと思われ、上司や同僚たちに悪い印象を与えてしまいました。私が修煉者であり修煉していることはみんなが知っていますから、修煉を始めたら、以前より仕事を頑張らなくなったと思われ、大法に対しても、マイナスの印象を与えてしまいました。去年、また上司にある課題の責任者になってほしいと言われましたので、前回の教訓を汲み取って、私は快く承知しました。そうすると、上司はとても喜びました。

 責任者になれば、確かに忙しくなり、残業も多くなり、三つの事を行う時間も限られる可能性がありますが、師父が(『精進要旨二』<大法とは圓容しているものである>)の中でおっしゃった内容は「本当に戦争が起きても、大法弟子は必ずしも前線に行くとは限らないが、それは皆さんが師父に見守られているからである。もし、本当に前線に行ったなら、ミラレバの師父が彼に悪業をおこなわせ、善い結果を得させるといった因縁関係があるのかもしれない。もちろん、これは法理を説いているのであって、普通はそうはならないのだ。とは言っても、法にはできぬことはなく、いかなることに対してもすべて圓容して破壊できぬものであり、しかも何といっても修煉者は師父に見守られているのである。一人の修煉者が遭遇した一切のことが、皆さんの修煉と圓満成就に関係のあることで、さもなくば決してそのようなことにあうことはないのだ。常人社会で仕事をきちんとこなすことは、修煉のためだけでも、大法弟子が常人社会での善良を表すためだけでもなく、大法が常人社会のために切り開いた法理を守ることでもある」を思い出すと、大法弟子が課題の責任者になったとしても、常人のように忙しくなることはなく、師父が必ず三つの事を行う時間を按排してくださると悟りました。そうしたら、思いがけないことに、翌日会議で論議した結果、問題が多すぎるため、その課題は取り消されることになりました。すると、今度はかえって上司が私にすまないと思うようになったのです。

 後でまた何度か、残業しないととても完成できないくらいの量の仕事を配られましたが、私はいずれも快く引き受けました。しかし、行う過程で、他の人が手伝ってくれたり、仕事の一部が取り消されたりして、すべて順調に仕事を終わらせ、残業したことは一度もありませんでした。このようなことを通して、上司や同僚は、以前の私に対する悪い印象をだんだん変えるようになりました。

 今振り返ってみれば、6年前に、もし私がその課題が成功するかどうか、三つのことをやる時間が取れるかどうかに執着せず、私の表現が常人に悪い印象を与え、それにより救われないかもしれないことを第一位に考えて、その仕事を引き受けたとしたら、常人に大法に対する悪い印象を与えることもなかったでしょう。後で分かったのですが、その課題の出現は実は私の修煉へのチャンスだったのです。私はそのチャンスを逃してしまったのです。

 師父の『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』を学んでから、このことについての認識がもっとはっきりするようになりました。常人社会であろうと、大法弟子の環境であろうと、常人に悪い印象を与えないようにすることはとても大事なのです。全体で法を実証するプロジェクトに取り掛かるとき、一番大事なのはお互いに「協力」することであり、自分の提案に執着してはいけません。そして参与したすべての大法弟子がよく「協力」し合うようにすれば、正に師父が説法された時におっしゃったように、そのことを行う過程で奇跡が起こるかもしれません。

 2008年1月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/7/169771.html