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煉功時でも自らを修めるべし

(明慧日本)私は1997年から法輪功を修煉し始めました。今日、煉功をする時に、一つの問題を思いつき、その影響はとても深刻だと感じました。

煉功を始めたばかりの頃、非常に集中でき、煉功音楽の音符や師父の号令も、一つ一つ頭に留められていました。言い換えれば、煉功の時、主意識が非常に強かったのです。

しかし、煉功してから今日に至り、疲れたように、時には師父の号令に追いつかず、動作が師父の号令に合わなくなり、注意が甚だ散漫であることを意味しています。

  今日、「法輪周天法」を煉功していた時も、妻の動作からぼんやりしていたことが分かりました。彼女の動作は師父の号令より半分速かったのです。私は「あなたのほうが早い」と注意すると、妻は「ごめんなさい、うっかりしていた」と答えました。

 つきつめて考えると、ここ数年私の修煉状態はあまり良くないと思います。煉功の時、常に落ち着くことができません。なぜかと言うと、煉功の時は自分を修めず、人心や執着心に従うままにやたらに考えていたからです。妻のような新しい修煉者と比べると、ぼんやりする内容だけが異なっています。彼女は常人のことでぼんやりしており、私は真相を伝えることでぼんやりしています。にもかかわらず、いずれも「煉功は落ち着くべき」という要求に応えず、誤りは同じなのです。つまり、落ち着く境地に至っていないのです。

 私は自分を調整し、主意識をはっきりさせました。そして、煉功音楽はまた一つも漏れなく、私の頭に留められました。しかし、煉功して少し時間が経つと、主意識がゆるみ、またぼんやりしてしまいました。

 普段、煉功の時はいつも自らを厳しく要求せず、なかなか落ち着く状態にいたらないのです。この問題はすでに深刻になっています。今日、この文章を書くことにより、煉功の時に落ち着くことができない同修にも注意を与えたいのです。煉功する時でも自らを修め、落ち着くようにしましょう。

 2008年1月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/3/169535.html