日本明慧
■印刷版   

正念を発することについての認識


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)この問題に関しては、同修の皆さんは交流したこともあるし、たくさんの会得も述べられていますが、私も自分の認識を話したいと思います。不適当なところがありましたら、ご叱正と、補足をお願いいたします。

 正念を発することに関して、よく現れている問題は自信が足りないということですが、それはまた二つに分けられると思います。一つは師父と大法に対する信念が足りないことであり、もう一つは自分に対する自信が足りないということです。私はよく師と法を信じると口先では言っていますが、内に向けて探してみたら、心の奥底には一種の心細さが潜んでいると気付きました。法理上、無条件に師と法を信じるべきだと分かっていますが、心の奥底に潜んでいる「疑い」は、やはり時に浮かんでくるのです。同修と交流してみると、それは普遍的に存在している問題だと分かりました。修煉の過程で人心が浮かんでくるのは別におかしいことではなく、絶えず自分を正し、それらのよくないものを取り除いて初めて次元が向上できます。しかし、正念を発する時にこういう考えが浮かんでくると、一種の妨害になるのではありませんか?

 修煉者が自分に対する自信が足りないのは、師と法を堅く信じる度合いが足りないことからもたらされたものです。ある意味、師と法を信じる度合いは自分の行える度合いと関係しているのです。完全に師と法を堅く信じる修煉者にとっては、正念を発する時に、自分が発したのは「人の念」ではなく、純粋な「神の念」であると堅く信じるのです。そして、「神の念」の元で運用した神通は必ず作用するのであり、つまり、自分の能力を更に大きく、多く発揮させることが出来るのです。本当に法に則っての自信は修煉の次元の本当の現れなのです。

 「悪人」へ「恨み」を抱くのは正念が作用できない主な原因の一つなのです。同修が酷く迫害されることを目の前にして、迫害に参与する悪人に全然恨みを抱かないのは、修煉中の人にとっては、直ぐに達成することができないかもしれません。そして私たちは常人のように恨むことはありませんから、この人心はとても気付きにくくなりますが、それがまだ取り除かれていないのであれば、つまり修煉者の「漏れ」なのです。修煉者は常人に対して、喩え極悪非道な人に対しても、恨んではいけないのです。恨みを持っているならば、それは情けの一つの表現で、即ち汚い人心なのです。この心を取り除かないと、旧い法理が作用することになり、ある意味ではそれらの悪人を「守る」ことになってしまうのです。だから「恨む」心を取り除かなければなりません。

 別の角度で考えると、大法弟子は慈悲を修めており、衆生を同一に扱うべきであり、衆生が救い済度されることが我々の目的なのです。それらの大法に罪を犯したのに、まだ挽回の余地のある「悪人」に対して、大法も繰り返し正道に立ち返るチャンスを与えているのです。それらの人が悪い報いに遭うのも当たり前のことであり、それは自分の行いからもたらした結果なのです。だから、それらの「悪人」に悪い報いに遭わせるのは当たり前のことであり、また必要なのです。そして、それらの極悪非道な人に対しては、もう壊滅するように正念を発するべきです。大法弟子の慈悲は宇宙の特性と一致するのです。宇宙の特性に完全に背離した人は自ら淘汰される道を選んだのであり、大法弟子はただ宇宙の特性に従って行うに過ぎません。それも師父が与えてくださった威徳を立てるチャンスでもあり、掃除することのように、それらを宇宙から取り除くことなのです。

 今環境が緩和してきて、邪悪な要素が確かに少なくなりました。しかし、それらの極悪非道な人はなぜまだ悪い報いに遭っていないのでしょうか。一方では、師父は『大法は堅固で粉砕されることなし』の中でおっしゃいましたが、「現在、大法に対して罪を犯したすべての悪人のうち、大法弟子へのいわゆる邪悪な試煉に利用する価値がなくなった者が、すでに悪報にあい始めているが、こうしたことはこれから大量に現れてくるのである。しかしながら、それら最も腐った邪悪の徒は最終段階まで利用される。というのも、大法弟子が絶えず表に出てくるため、邪悪な旧勢力は邪悪の徒を利用して引き続き大法弟子を試す必要があるからだ。これこそが最も邪悪な悪人がなぜ、まだのさばり悪事を働いているか、ということの理由なのである」。これが主な原因ですが、もう一方では、大法弟子が慈悲に対する認識がまだ足りないため、それらの邪悪と悪人に、存在できる空間を与えてしまったからだと思います。

 悪人たちはなぜ今の迫害の情勢を必死に守ろうとしているのでしょうか? それは環境が緩んでいくに連れて、表に出てくる同修が多くなり、それらも存在する価値をどんどん失ってしまい、淘汰される定めを免れることが出来ないからです。こういう意味では、大法弟子は三つのことをよく行い、全体で早く昇華すれば、邪悪がどんどん淘汰されて行くのです。それらの悪人が悪い報いに遭うのもただ時間の問題であり、彼らのこの世での存在もただ一つの幻像に過ぎないのです。

 2008年1月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/12/170106.html