日本明慧
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心性を守ることの大切さ


 文/アメリカ大法弟子

(明慧日本)最近、法の学習を通してちょっとした会得がありましたので、皆さんと交流したいと思います。不適当なところがありましたら、慈悲なる御指摘をお願いします。

 法を正すことが今日にいたり、もう最後の最後に入ったということを大法弟子は皆知っていると思います。そして、最後になればなるほど、旧勢力に隙に付け入られ、法を正すことの足を引っ張られることのないように、我々が全体としてよく「協力」し合い、「協調」し合うようにしなければなりません。そして、このことをやり遂げるために、「心性」を守る事がとても大事だと思っています。同修との間で心が溶け合って付き合えないことにはたくさんの原因がありますが、その中での主な2つは(相手を)信用していないこと、そして(相手が)好きでないことだと思います。

 1)(相手を)信用していないこと。この現象の原因については、私の理解としては、主に心性を守れず、魔性を放任したからだと思います。大法の学習を通して、我々はよく分かっているのですが、人間には「魔性」と「仏性」があり、我々の修煉は絶えず「魔性」を取り除き、「仏性」を充実させる過程なのです。修煉の過程で魔性も絶えず現れてきているのですが、我々の無意識的な推理や仮定、判断が往々にして全体を破壊する作用を果たしてしまうのです。

 人間の考えの中には汚染され、大法に符合しない部分がとても多いのです。魔性が混じっている考え方で物事を判断する時は、既に「大法」から外れているのです。しかし、多くの場合、我々がそのようなことを意識できず、まだ自分の考えが法に則っていると思い込み、結局は法を「破壊」する作用を果たしてしまうのです。その表れとしては、同修の間でお互いを猜疑し、意見の食い違いがある時、同修の前で心を打ちあけて言うのではなく、裏で色々論議し、結局は時間と労力を無駄にして、なかなかまとまった意見が出せず、正念の場を相殺する事になってしまうのです。

 では、どの様にすべきなのでしょうか? それは「心性」を守るべきだと思います。どんな人や事柄を前にしても、猜疑したり勝手に想像したりするのではなく、常に大法弟子の正念を持って対処し、もし自分が「神」であったら、どのように対処すべきか自分を常に注意しなければなりません。我々の正念が強い時、たとえ相手が本当に何かよくない考え方を持っていたとしても、別に「三段論」という推理をしなくても、邪悪の要素は瞬く間に「解体」してしまうのです。法を正すことが今日に至り、私の理解ですが、たくさんの「猜疑」の要素は、大法弟子の一人一人が、自分の心より生じた「魔」がもたらしたものだと思います。「神」が修煉しているのではなく、「人」が修煉しており、法の学習を緩めた場合、突如現れたことに「正念」で対処できなくなると、人為的に事柄を複雑にさせ、お互いに不信感を持つことになってしまうのです。この場合、一番大事なのは当事者の双方が先ず自分の「魔性」や「恨み」を抑制しなければなりません。トラブルの最中で、特に表面上問題の原因が相手にあると思った場合、抑えるのは難しいかもしれません。しかし、我々は「大法弟子」であり、問題に遭ったら、無条件に内に向けて探さなければなりません。相手のせいだと思い込めば思い込むほど、本当にいけないのは自分自身なのです。それに、自分の「魔性」を抑えないと、相手と自分を傷つけ、また全体にも悪い影響を与えてしまうのです。ですから、心性を守ろうとするには、先ず自分の「魔性」を抑制しなければなりません。

 2)(相手を)好きでないこと。この言葉を聞いたりすると、私にはこの問題はない。これは「情」ではないかと多くの同修がこのように言うかもしれません。しかし、我々は他の同修と付き合うときに既に無意識的に色々な観念を持って対処してしまうことに気付かなかったでしょうか? 例えば、この同修とはよく話が合い我々の認識は殆ど同じだとか、その同修のやり方には納得できないとか、また、同修が集まる時も自分と話の合う同修が来ていないと、がっかりしてしまい、考え方の違う同修が来るとなんとなく気分が悪くなってしまうこともあるのではないでしょうか? このようなことを口に出さなくても、こういう観念を持っている以上、既に同修との間にわだかまりが出来てしまっているのです。ですから、この問題を真剣に対処し、心性を守り、「情」を放任して全体に影響することのないように気をつけなければなりません。

 ここまで書いてきましたら、自分の認識にも限りがあり、まだ十分に表せないことが、たくさんあることに気付きました。皆さんにすこしでも参考になればと思っています。そして、全体で向上できるように、皆さんの卓説も聞かせていただきたいと思います。ありがとうございました。

 2008年1月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/11/169892.html