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協調責任者は、法を正す進展への同修の参加を励まさなければならない


 文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)何年か前、我々の地区で邪悪が比較的はびこっていた時、協調責任者は積極的に資料点の運営に参与し、大法の資料と真相資料が妨害されることのないように働きました。確かに資料点の順調で穏やかな運営は邪悪を暴露し、真相を伝えることに対して、十分に役割を果たしました。しかし、その時参与していたのはただ一部の同修だけであり、法を正す進展が絶えず進むに従って、邪悪の要素はますます少なくなり、私たちに対する法の要求がますます高くなってきました。協調責任者としては先ずよく法を学び、よく正念を発し、トラブルになったら、無条件に内に向けて探し、自分をよく修めなければなりません。資料点が到る所で花を咲かせるに従って、表に出てくる同修がますます多くなってきました。そのため、如何にして更によく、更に効率よく、更に影響力を広く、更に多くの人を救えるのかが我々の必修の課題になりました。

 当初、師を手伝い、法を正すために大法弟子が大胆にこの世に降りてきたのは、師と法を堅く信じることのほかに、「この世で惑わされた時、周りの同修が必ず自分を呼び起こすに違いない」と信じているからです。師父も何度も説法の中で一人の弟子も見捨てたくないということを教えてくださいました。歴史上、我々は周りの同修が惑わされた時、呼び起こすようにという誓約を立てたかもしれません。もしこういう約束があれば、そんなことは我々の当然の責任と使命だと私は思っています。

 全体で共に向上し、周りの同修が皆表に出てきて三つの事を行い、真相を伝え、三退を進めるようにさせる。それは我々協調責任者の主な仕事の一つなのです。

 今までの経験から見れば、長年、集団で法を学ぶことを続けている同修は大体法理上の昇華が早いのです。法を学ぶグループで一旦内に向けて探すという機制を形成すると、トラブルが起きても直ぐ解決できるのです。そして、立ち向かって真相を伝える経験をお互いに交流することも出来るのです。だから、法を学ぶグループは向上にとって不可欠な要素なのです。それに対して、集団での法の学習に参加しない同修は、師父の按排された道を外れることになり、家族とのトラブル、個人修煉のさまざまな魔難に陥っている現象が多いのです。師父が残してくださった修煉の形は集団で法を学ぶこと、集団で煉功すること、そして法会なのです。協調責任者は接触する同修が多く、周りの同修の状況がよく分かっているので、まだ表に出ていない同修を出来るだけ早く出させてグループで法の学習と法会に参加させる責任があるのです。

 法会については、協調責任者が積極的に協調しなければならない仕事なのです。師父は『オーストラリア法会へ』の中で「法会は大法弟子の盛大な会合であり、互いに向上を促し合う良い機会であり、法をしっかりと勉強したことの証です」とおっしゃいました。『米国中部地区ミネソタ州法会へ』の中で「法会を通じて、修煉と衆生を救い済度することの経験を総括し、しっかり交流を行い、大法弟子が行うべきことをさらによく行う、これは大法弟子の願いでもあります。法会を通じて皆さんにそれぞれ収穫があることを期待しています」とおっしゃいました。

 少し前、私たちの地区では小規模の法会が3回行われました。法会を通して、程度は違いますが、皆は自分の昇華を感じました。毎日のように真相を伝え、三退を勧めている同修は自分だけがよく行うことに拘るのではなく、全体のことを考えなければならず、更に多くの同修が表に出るように励まし、お互いに協力し合い、更に多くの衆生を救い済度しなければならないことを意識するようになりました。表に出たばかりの同修は部屋に人が大勢いるのを見て、最初のころ、警察が来たら、どうしたらいいだろうと心配して、恐れる心が出ましたが、法会の進行に従って、よくない考えや恐れる心が全部解体されました。法会が終わってから、ある年配の同修はもっと同修と交流したいと思い、次回また法会があったら、知らせてくださいと言いました。また、法会を開く場所を提供した同修も自分の昇華を確実に感じました。その同修は自宅も大きいし、夫も出張中で、娘もよその都市で仕事をしていますから、条件がとてもよかったのですが、最初は恐れる心があるため、なかなか自宅で法会を開く勇気がなかったのです。しかし、交流を通して、恐れる心が私心であると分かり、場所を提供するのは自分が向上するためではなく、全体を向上させるためであり、師父の要求を圓容することであると考えました。考えの中にはまだ旧勢力を認める部分があり、自分の全ては皆大法が与えてくださったもので、自分の部屋を大法のために使うのも当たり前のことではないかと認識するようになったのです。

 私たちはよく分かっていますが、実は全ては皆師父がなさっておられるのです。我々が法に則った時、法の威力が初めて現れるのです。協調責任者はただ具体的なことを行う中で絶えず自分を正しているだけなのです。そして、協調責任者は別に指名される訳でもなく、全体に有利なこと、衆生を救い済度することに有利なことなら、誰でも積極的に行うべきです。だから、我々は待たず頼らず、自分の作用を十分に果たすようにしなければなりません。

 2008年1月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/11/170085.html