長林子労働教養所が法輪功修煉者を迫害(続き)
(明慧日本)2007年10月29日、黒龍江省ハルピン市長林子労働教養所第5隊の役人らは昼食中に突然「安全検査」を行い、法輪功修煉者・郎賢国さんが持っていた『転法輪』第三講の小冊子を没収した。郎賢国さんは小冊子を返して欲しいと要求したが、隊長は、次回の面会時に郎さんの家族に小冊子を渡すことを約束した。しかしそれは、2007年10月中旬から法輪功修煉者達がやめた「奴隷労働」の再開が条件だった。郎賢国さんはそれを断固として断った。夕食の時に、郎さんが率先して、修煉者達みんなで「法輪大法は良い」、「迫害を止めよう」と叫んだ。夜、役人らと話し合ったが、同意までは至らなかった。
10月31日の朝食の時、法輪功修煉者達全員で、また「法輪大法は良い」、「迫害を止めよう」と叫んだ。しかし隊長・王凱と他の役人は、郎賢国さんを「独房」に入れて、手錠を使用し郎さんを「鉄の椅子」に固定した。郎さんは「鉄の椅子」に10数日間もずっと座らされ、大小便の時も降りることを許されなかった。また役人らは、修煉者・宮文意さん、韓偉さんにも「鉄の椅子」の刑を加えた。2人は大きな声で「法輪大法は良い」と叫び、他の同修も一緒に叫んだ。役人がスタンガンで修煉者を電撃したが、第5大隊の叫び声は絶えず、これは他の隊に拘禁されている同修に状況を伝える効果もあった。
2007年12月13日、宮文意さんが所持する『転法輪』第4講〜第9講の小冊子と1100元あまりの現金が没収された。隊長・王凱はずっと言い訳をして返さず、また他の隊に移送される受刑者から不正な手段で200元を没収した。郎さんと宮さんは法輪功の書籍を返すことを求めて断食を始めた。
12月16日、第5大隊にいる法輪功修煉者達は、食堂に行く途中、「法輪大法は良い」と、大きな声で3回叫んだため、警官らは法輪功修煉者達に食事をさせなかった。そこで修煉者達はまた3回「法輪大法は良い」と叫んだ。警官らは修煉者達を仕事現場に連行した。王凱は激怒してどなりつけ、何人かの受刑者達も悪人を助けて悪事を働き、修煉者・顧青松さん、黄鳳河さんを殴打した。一緒に迫害に遭ったのは宮文意さん、郎賢国さん、韓偉さん、劉景洲さん、姜偉民さん、張発さん、呉烘(発音は「hong」で、火へんに共)柱さん、段徳臣さん、趙紅星さん、孫培然さん、張雨さんがいた。
法輪功修煉者の迫害に参与した受刑者は馬太平、張鼎立、富鑫、張小秋などである。これらの凶悪な受刑者らは王凱の指図で修煉者達を牢屋に連れ帰り、再度迫害を加えた。ベッドの板で修煉者を殴ったり、スリッパで顔を叩いたりした。劉景洲さんの両方の頬は叩かれて、饅頭のように腫れ顔全体が変形した。60歳近い張発さんは、迫害されて血圧が高くなった。顧青松さんの足は殴られて、歩く時にびっこを引くようになった。法輪功修煉者が殴られて床に倒れたのを見ても殴ることを止めない悪漢もいた。宮文意さんは「鉄の椅子」に14日間じっと座ることを強いられたため、14日間断食して抗議した。韓偉さんも「鉄の椅子」に2日間じっと座ることを強いられたため、2日間断食して抗議した。郎賢国さんは「鉄の椅子」に17日間じっと座ることを強いられたため、17日間断食して抗議した。労働教養所の李所長は郎さんと話をして、郎さんは法輪大法の勉強と煉功の権利を要求して、李所長が承諾したため、その後、やっと食事を始めた。
凶悪な迫害に対して殴られても殴り返さない、ののしられてもののしり返さない法輪功修煉者の慈悲かつ祥和の態度に、天も感動して涙を流した。修煉者達が殴られる時、小雪が降り始め、殴るのを止めたとき雪もやんだが、空はずっと暗かった。
夜、仕事を終えた受刑者・馬太平は大酒を飲んで、顔が赤くなり「酒乱」になり、法輪功修煉者達に「法輪大法は良い」と叫ばないように強要した。生産現場で彼は呉烘(発音は「hong」、火へんに共)柱さんを殴り、呉さんは「法輪大法は良い」と叫んだ。馬太平は、また法輪功修煉者・劉景洲さん、姜偉民さんを殴った。宮文意さんは断食して以来、身体がとても衰弱した。そんな宮文意さんに対して、全く人間性が無い馬太平は便を食べさせたのである。
12月17日、受刑者・馬太平は他の案件で摘発され、ハルピン南崗駅前大隊に連行された。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報については、中国語のページを参照)。
2008年1月20日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/16/170408.html)
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