日本明慧
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夢に執着してはならない

(明慧日本)夢で見たことについて興味津々で、いつも自分の不足は何であるかを省みず、執着心も探そうとせず、人心に任せて自分の執着のために口実と言い訳を探し、ひいては夢の中で見たものをすべて信じてしまい、法理にしたがって自分を導くのではなく、夢で見たことを悟りとする人がいる。

 ある小学生の母とお婆さんは皆法輪功を修煉しているため、この小学生も修煉するようになり、学校でいじめられても、怒らず、自分が良くできていないと内に向けて探すことができた。その後、この小学生は夢の中で自分が何層もの天上に上り、たくさんの神仏を見た。さらに神から仙人の果物をもらって食べたという。この小学生が夢で見た話を耳にした人は誰もがこの子の根気が良いと言っていた。

 他の人からの賞賛を聞いて、小学生の母とお婆さんも歓喜の心が生じるようになり、ますます子供が夢で見たことを重視するようになり、いつも他人に夢について解説していた。その後この小学生も変わるようになり、いつも誰それがすでに円満成就したとか、誰が誰より次元が高いなどと言い出すようになった。大人の同修は聞いても警戒することなく、ただ子供の夢は本当だと信じるようになった。しかも、この子が夢の中で出会った佛を師父と呼ぶようになり、この子がいかにすばらしいかと、いたるところで自慢話を持ち出すようになった。最終的にこの子は法も学ばなくなり、煉功も止めて、夢の中の「師父」の話しか聞かなくなった。

 夢はあくまでも夢であり、修煉者は夢を重く見てはならない。さらに夢を見れば直ちに何かを悟ろうとするのもよくない。夢は修煉者の心性の状態を見ることができる一面はあるが、修煉ではない。師父は時々、夢を通して私たちに啓示を与えることはあるが、それも私たちの修煉に対するものであり、執着心に対して出されたものである。決して私たちにどのように行うのかを指示するものではなく、さらに同修の問題、または修煉の道及び将来の真相を示すこともない。私たちは夢を通して内に向けて探し、自分の不足を見出し、それを取り除くべきである。

 実は旧勢力及び一部の良くない要素も夢をいじって、夢の中でそれらが按配した嘘を修煉者に見せて、修煉者を誤った道に導くことがある。修煉者は必ず智慧の眼をもって、真偽を弁別し、正念をもってそれらの按配を否定すべきである。

 2008年1月22日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/1/9/169895.html