神韻は私を啓発した
—「真・善・忍」は中国伝統文化の根源である—
文/簡ナ(米国ロサンゼルス)
(明慧日本)神韻芸術団による「全世界華人新年祝賀祭」が、アメリカロサンゼルスのノキヤ劇場で4回上演されて1週間近く過ぎたが、いままだに「神仙」のような音楽、「雄壮偉大」な太鼓、「天女」のように優美な舞踊、こころからの震憾、感動がまだ耳に残り、舞台の情景が目の前に浮んできて、空中を漂っているかのように感じている。私は涙を流しながら演出を見た。私はなぜそこまで「神韻」に震憾させられたのかと私は自分に問うた。
演出を観る前、公演はどういうふうに「神」の文化を演出するのかと、いくら考えてイメージを想像しても本当の演出とははるかに違った。演出はとてもすばらしかった。聞いたことない音楽が雄壮かつ優美に、やさしく体の細胞にまではいっていくようだった。明るい色彩、入神の域に達するバックスクリーン・・・、私はほかの時空に連れて行かれたような、世俗を遠く離れたような気がした。
一つ一つの精緻な舞踊、一つ一つの震憾な太鼓、一つ一つの感動的なストーリ、一つ一つの「純善」な歌詞、また、人の想像を超えたバックスクリーンなど、神の文化が浸透した偉大な作品である。
劇場で一人の欧米人の観客が感激の涙を流したのを見た。「とても美しくて感動した。演目はみんな好き、表現する言葉がないほどすばらしい。(Every one is the same, every one is different)一つ一つの演目は同じような? 違うような? 感じがした」と彼女は語った。
私は、どの演目に一番感動したかと彼女に聞くと、「真・善・忍」の修煉者に関する二つの演目だと答えた。
彼女の答えに私は驚かなかった。私も同様に演出の中で、女性の法輪功修練者が迫害された演目に感動した。私の2人の友人のご主人もこの演目を見て涙を流した。3人の女性法輪功修練者達が迫害された演目は、彼女たちの心血と涙を凝集していた。「覚醒」の中で、温和で善良な「真・善・忍」の修煉者が、人々に法輪功の真相を伝えた時に悪辣な警察官の猛打を受けた。凶暴な悪魔に対して世人は沈黙を破り、覚醒した人々は、前に出て正義と善良を貫いたことに観客は感動して、雷鳴のような拍手をした。世人は明るい未来を見た。
その拍手から私はこの二つの演目が人々を感動させるのだとわかった。「真・善・忍」は中国伝統文化の根源であり、人々の美しい憧れの源なのである。
「真・善・忍」があるからこそこの世があり、それは中国五千年の伝統文化の源泉である。真があるから清浄な「道」がある。善があるから慈悲な「佛」がある。忍があるから「儒」がある。老子の道の思想、釈迦の佛の思想、孔子の儒の思想の「源」は「真・善・忍」である。中国五千年の長い歴史の源流の精華は「儒、釋、道」の三つの思想が交差する創造的なすばらしい文化である。
私と同年代、あるいは文化大革命後に生まれた中国大陸の人々が、自分らの祖宗文化さえしらないことを大変気の毒に思う。私は文化大革命が終わったころに生まれ、小さいときから中国の真の文化を一切知らなかった。勉強した歴史も中共に改竄されたもので、少しの物語しか知らなかった。真実の内容、意味をよく理解できていなかった。中国大陸では伝統文化の「儒、釋、道」の思想が批判されている。中共が宣伝する「文芸作品」は伝統文化の旗の下で自らを美化するものである。文芸作品は政治のためのものであった。私は海外へ来てから中国伝統文化を考え始めた。台湾には中国よりも中華伝統文化がたくさん残っていることがわかった。
「全世界華人新年祝賀祭」に啓発され、真実の中国伝統文化の精華を見つけて中国五千年の伝統文化と、万事万物の源泉を見つけた上に自分の根源も見つけた。
2008年2月3日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/1/29/171300.html)
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