法を師とすれば、デマは自ら滅びる(四)
(明慧日本)
三、神韻の公演と『九評』について
2007年4月7日、師父は『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』の中で質問に解答された時、このようにおっしゃいました。
「当然ながら、どんなことも言うのは簡単ですが、私が関わるようになって、このことの性質は変わりました。ご存知のように、大法弟子は法を実証しているのですが、師父は何をしにきたのでしょうか? 師父は法を正しに来たのです。ですから、私はこのことを行なうと、相手にする観客、私が済度しようとする人、行おうとすることに変化が生じました。ですから、このことを良く行ないたければ、最高の効果を収めなければなりません。本当にその人を済度し、救うことができてはじめて、私は行なうのです。しかも必ずここまでできなければなりません。ですから、私は以前のように行なってはいけません。以前は大法弟子がみなアマチュア的に行なっていましたが、行なう以上、高水準に達しなければなりません。もちろん、師父が何かを行なうのであれば、きっと最高の効果を収めることができると言う人がいます。そうです! 最高でなければ、私もやりません。(拍手)ですから、私は人材を募集し、舞踊学校を作り、人材を選抜して、楽団を作るよう指示しました。この一連のことはまず基礎から養成し、そして本当に一流の演出効果を収めるのです。創作と演習を含めて、多くのことは師父も関わりました。皆さんもこれを耳にしました」。
師父はご自分で神韻の公演の創作や演習などに参与されたことをはっきりと教えてくださいました。それらの堕落者に従って、神韻の公演を貶す人、自分は伝統文化が分かると思い、「高く悟る」人で、自分と大法、師父とは一体どういう関係なのかについてよく考えてほしいのです。
それから、それらの堕落者の『九評』に対する態度も前後矛盾しているのです。2008年1月18日までに、明慧ネットを貶すため、それらの堕落者は『九評』を伝えることを師父が要求しておられると認める一方、明慧ネットは『九評』を伝えることに反対しているとデマをまき散らしていました。「虚言を広める環境を与えず、大法弟子が行うべきことをしっかり行いましょう」が発表されてから、自分の虚言が暴き出されたため、それらの堕落者はけろりと変わって、仮面を外し、悪辣に『九評』と神韻を貶すようになりました。
四、師父と付き合いの多かった修煉者への忠告
それらの堕落者に追随する修煉者の中に、師父との縁が深く、むかし師父との付き合いの多かった人もいます。それは本当に胸の痛いことなのです。師父との付き合いが多いとは言え、修煉者である以上、人心を持っているのです。当時イエスに従う12人の弟子の中に、ユダもいれば、師父を認める勇気のないペテロもいたのです。慈悲深い師父は今度法を伝えられる中ですべての天機を明かされ、このようなことは元々免れるはずなのです。師父は常人社会で生活しておられ、時間が長くなると、師父と付き合いの多い修煉者は人心で師父に対処してしまうことがあるのです。
師父は『長春補導員法会での説法』の中で「皆さんに教えますが、もし私に常人の考えがなければ、私もここにいられません。このことをする前に常人の考えを集め合わせ、人間の中で皆さんにこのように説法することができるように維持しています。多くのことは、皆さんが理解できるようなことではありません」とおっしゃいました。
2006年2月25日、師父は『ロサンゼルス市での説法』の中で解答される時にこのようにおっしゃいました。
弟子:師父が話されたことをそのまま信じて、深く考えないという状態は正しいのでしょうか?
師:神から見れば、この人は本当に素晴らしいと思いますが、私はやはり本を多く読み、法を多く勉強するようにと言うのです。普段、私が説法するとき、皆さんは慈悲の場が非常に大きくて力も強いと感じ、多くの問題を解決することができます。しかし、私は普段の生活では、このようになってはならず、この力を使わないのです。しかも、私に常人のように考える功能があり、これを用意したのです。私はこれを使って生活しています。その場合、私は冗談を言ったり、普段の生活でのことを話したりしますが、師父が法に則っていないのではないかとあなたは思うのです。(笑)(皆笑って、拍手) 人間のところにいると、やはり面倒です。
従って、師父との付き合いの多い修煉者に常人の心で日常生活の中での師父に対処しないでほしいのです。大法に対する信念は大法より来るもので、大法への堅い信念が足らず、師父の説かれた法を信じず、或いは完全に信じないと、修煉していけないのです。
師父は2005年11月5日の『2005年サンフランシスコでの説法』の中で「法を多く勉強し、明慧ネットに掲載された修煉者の文章を読んでみてください。とても良く書けており、非常に成熟しています。一部の文章は本当に良く書けています。自分のどこに差があるのかを比べてみてください」とおっしゃいました。
邪悪は見抜かれることを怖がっているのです。だからこそ、色々口実をつけて、大法の書籍や明慧ネット、それから明慧ネットに載った新しい経文を読ませないようにしているのです。
それから、他の同修も邪悪に居場所を与えないようにしてほしいのです。誰も構わなければ、邪悪は自ら滅びてしまうのです。
2008年2月4日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/28/171279.html)
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