■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/02/08/mh091665.html 



孟学涛さんは、不法に労働教養を3回され、母親との面会も拒否された

(明慧日本)法輪功修煉者・孟学涛さん(38歳男性)は、重慶市渝中区重慶ラジオ放送局の宿舎に住んでいた。もと中国銀行重慶支店の正社員で、1998年8月より法輪功を修煉し始めた。

 1999年5月、江沢民グループ・羅幹は、中国で、民衆が法輪大法を修煉することを阻止した。孟学涛さんは、6月上旬に会社に一週間の休暇を取って上京し、陳情に行った。その後、中国銀行重慶支店の悪人に重慶市肖家湾軍区の紅楼ホテルまで連行され、不法に30日間拘禁された。

 孟さんは、法輪大法を修煉することを放棄しなかったために、会社から解雇された。

 1999年12月、孟さんは2回目の陳情に上京した際、2000年の元旦に、天安門広場で煉功したため、警官に連行された。2000年1月12日に不法に重慶市上清寺派出所に移送され、さらに、重慶市西山坪労動教養所に拘禁され、不法に労働教養一年を科せられた。

 労働教養されている間、孟さんは法輪功の修煉を放棄しなかったため、長期に「厳管組」(重点班)に監禁され、西山坪の警官に独房に入れられて虐待された。脊椎を猛打されたため傷害になってしまった。

 ある日、孟さんの母親(同じ修煉者)は見舞いに行ったとき、孟さんが縄で縛られ、点滴をされ、とても痩せこけ老いてしまったことを知った。

 孟さんは、法輪大法の信奉を放棄しなかったため、西山坪労動教養所に不法に刑期を一年延期され、心身ともに残虐な迫害を受けた。

 2002年1月12日、孟さんは「正念」を持って、労働教養所より脱出し家に帰ることができた。

 父親は、脳血栓を患っており、孟さんが迫害されたことを知り、大きな精神的打撃を受けたまま、この世を去った。

 孟さんは、警官に手錠を掛けられたまま葬儀に参列した。

 2005年5月25日、孟さんはある同修の家で交流していたとき、警官が侵入して来て孟さんと他の同修も一緒に重慶市巴南区魚洞留置場まで連行され、不法に25日間拘禁された。その後、孟さんは不法に重慶西山坪労動教養所により2年間の労働教養を言い渡された。 

 この間、孟さんは「正念」を持って大法を侮辱する事に関しては、「書かず」、「言わず」、「・・せず」にいました。

 西山坪労動教養所の警官から、酷く虐待されたため孟さんは、長期にわたって不眠症になってしまった。身長170センチの若者が、体重50キロにも足らず、血糖値が上昇し、血糖指数は20.0(通常は5.2以下)に達した。

 2007年5月、孟さんは、再度、「正念」で労働教養所を脱出することができ家に帰った。 

 2007年12月28日、孟さんは重慶市沙坪ハ区新華書店で法輪大法の真相資料を配ったとき告発された。沙坪ハ区三峡広場派出所の警官は、孟さんを沙坪ハ区の白鶴林留置場に連行し、不法に21日間拘禁した。

 2008年1月17日、孟さんは3回目の迫害を受け、重慶市西山坪労動教養所に拘禁され、不法に労働教養2年間を言い渡された。 

 1月18日、母親が、孟さんを見舞ったときには、顔色は青白く、目の周りは黒くなっており、とてもやつれはてていた。孟さんは、母親に「今、深刻な不眠症に罹っている」と訴えた。

 1月25日、孟さんの母親が再び西山坪労動教養所へ息子を見舞いに行った時、母親も修煉者だとわかり、孟さんを見舞うことを拒否された。

 孟さんの母親は70歳あまりで、寒い中を一人で行動することは、とても容易なことではない。しかも、息子を見舞うことを労動教養所の警官に拒否され、母子の面会はとうとうできなかったのである。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2008年2月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/2/7/171932.html

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