歓喜の心と顕示心を取り除く
(明慧日本)私は2006年から明慧ネットに文章を投稿し始めました。特に2007年になってからたくさんの文章を投稿しましたが、1篇も掲載されることはありませんでした。
最近明慧ネットで私の投稿した2篇の文章が掲載されました。最初に1篇目が掲載されたとき、同修が私に、「この前出した文章が掲載されたよ」と教えてくれました。最初はなんとも思わなかったのですが、『明慧週刊』に自分の書いた文章を見つけると、まず二度読み返しました。非常にうれしく思いましたが、直ちにこれは歓喜の心だと気づきました。しかし2篇目が掲載されて、また私は何度も読み返しました。しかもそれ以来、『明慧週刊』を読むたびに、まず自分の投稿した文章がないかを探すようになりました。時には似たようなタイトルの文章を見つけて、内容を見て自分のものでないことに気づくと、もうそれほど関心がなくなったのです。
この前同修と交流するとき、自分の文章が掲載された話がでて、それを聞いて非常にうれしくなり、心の中では「2篇目はまだ知らないでしょうね」と思っていました。たくさんの執着心が生まれました。
昨日発正念をするとき、自分の内を取り除く際、連載されてから生じた歓喜の心と顕示心を思い出し、非常に魔に利用されやすいと気づきました。師父は『転法輪』の中で、「しかし、喜ぶこともまた執着心であり、歓喜心なのです。羅漢は無為であるべきで、心が動じてはいけません。結局その人は堕ちてしまい、それまでの修煉が無駄になってしまいました」とおっしゃいました。顕示心が出ると、自分自身を制御できなくなり、ひいては大法と対立する立場にたつこともあるのです。何事も、一念が非常に重要であり、必ず警戒し、自分の一念をしっかり見つめなおさねばなりません。
今真相を伝え、中国共産党組織からの脱退を進める活動の中で、歓喜心と顕示心が容易に現れてくるのです。伝え方がうまかったり、多くの衆生を脱退させることに成功すると、うれしくなったり、自分自身を宣伝したりします。しかしよくできないと、落ち込んでしまう人がいます。これでは大法を実証しているのではなく、自分自身を実証していることになります。私たちは必ず常に歓喜心と顕示心を警戒しなければなりません。なぜならこれらの心は非常によく修煉している修煉者を、一瞬にしてだめにしてしまうほど危険なことだからです。
2008年2月9日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/2/9/172042.html)
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