自我を放下し、法を実証せよ
(明慧日本)衆生を救い済度する様々な活動の中で、いかにして自我を放下するか、これこそが本当に法を実証することなのかもしれません。
私たちが文章を書くとき、自分のほうがよいと思っているとき、美術創作の際自分のほうが発想がよいと思うとき、資料を印刷する人は自分がこれだけ印刷したと思うとき、真相を伝える際自分によってどれほどの衆生が救われたかと思うとき、横断幕をかける際自分によってどれほどの常人が見られるようになったかと思うとき、協調人が自分の地域の修煉が好いのは自分の協調のおかげだと思うとき、技術関係の人が自分の技術レベルが高く、自分なしでは何でもできないと思うとき…。
これらの人心が生じたとき、私たちは法を実証しているのでしょうか? それとも自分を実証しているのでしょうか?
まずはっきりさせなければならないのは、私たちの命は法によって創られたものであり、すべての能力と智慧は法によって開かれたものです。法がなければすべては生まれません。自分がいかによいアイディアを出したか、いかにたくさんのことをしたかと強調するとき、強大な法の力がなければ私たちは何もできず、法を正す道では一歩も前に進めないことを忘れてはなりません。
自分自身の考え、一念を常に見直し、自分の正念を強め、常人の観念に隙に乗じられないようにすべきです。真に自我を放下し、法を実証し、偉大なる仏法を人間界に再現させましょう。
2008年2月15日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/2/15/172327.html)
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