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目的は本当に人を救うことである


文/中国河北省大法弟子

(明慧日本)「明慧週刊」310号に掲載された文章「行なって求めず、時間を大事にして人を救う」の中で、師父の『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』の中で人を救うことについて新しい諭しを下さったと作者の同修は書いています。その同修の理解としては、人を救い済度することはより差し迫ってきたことであり、法輪大法が素晴らしいことを認めること、あるいは中共邪党の組織を脱退することのいずれかを行えば、救われるということなのです。師父のこの説法に対して、我々の地区でもこのような認識を持っている同修がいますが、ここで自分の認識を述べて、同修の皆さんと交流したいのです。

 数日前、我々の地区の同修は交流する時に、「三退」を勧めなくてもよい、世の人は法輪大法が素晴らしいと分かれば、救われることになるという同修がいます。他の2人の同修もこの考えに賛成しています。しかし、この言い方は妥当ではないと私は思っています。我々がこれらのことを行う根本的な目的、つまり、真相を伝えることにおいても「三退」を勧めることにおいても、世の人々を救い済度するためであり、本当にその人を救うという効果を収めるようにしなければならないことを忘れないでほしいのです。もし人心を持って、ただ表面の言葉だけに拘り、極端に走ってしまえば、時間を無駄にし、自分で人為的に妨害を作ることになるのです。

 ですから、大法弟子としては、我々は師父の説法を断片的に理解してはならないと思います。人に向かって真相を伝える事は難しく、未だ真相を伝え、「三退」を勧める事をしていない同修もいるのです。師父は『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』のなかでまた言及されましたが、今、人を救うことは実に難しく、老婆心から口をすっぱくして説得して、やっと1人を救えるのです。現在の世の人々を救うことの難しさを師父はよく御存知ですが、我々はまた言い訳をつけて、気を緩めているのです。師父は『法輪大法—オーストラリアの修煉者に対して法を説く』の中で、「一部分の学習者が法を学ぶ目的は向上することではなく、自分の執着に符合する内容を探し、自分を守ろうとするためである」ともおっしゃいました。

 私は、真相を伝え「三退」を勧める時もこのような人に会ったことがあります。法輪大法が素晴らしいことも認め、法輪功にも反対しませんが、共産党も悪くないと言って、どうしても邪党組織から脱退することを認めないのです。このような人は、これで救われるでしょうか。人が本当に心から法輪大法が素晴らしいと信じ、邪党から脱退して初めて救われると私は思っています。ですから、我々は本当に衆生に責任を負うべきであり、真相を分かってもらわなければなりません。

 我々は師父の法に基づいて行動し、昔の説法であろうが、今の説法であろうか、丹念に法を多く学び、心を静めて法を学び、師父の説法を全面的に理解するようにしなければなりません。つまり、法は貫通しており、圓容しており、永久に不動なのです。法を正す時期の大法弟子、師を手伝う大法弟子として、師父の要求を圓容して、前史の大願をやり遂げ、「三つのこと」をよく行い、更に多くの衆生を救い済度するのは、我々みんなが当然果たすべき責務と使命なのです。

 この文章を書いたのは別にだれかれの同修を責める意味ではありません。全体で共に向上するように、同修の皆さんと切磋琢磨したいのです。次元に限られたもので、不適当なところがありましたら、慈悲なる御指摘をお願いします。

 2008年2月17日


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/1/23/170844.html