最後になるほど発正念を重視すべき
(明慧日本)旧暦の正月2日、私は同修の家へ挨拶に行きました。そこで同修5人で発正念をしましたが、天目が開いている小弟子の話では5千以上の邪悪を滅したと話してくれました。その時、私は思わず「何でまだそんなに多いの? 残っているのはもう少ないのでは?」と心が重かったのです。解散前に私はもう一度発正念をしようと提案して、10分間行いましたが、終わった後に小弟子がまた自分の次元で見たことを教えてくれました、「今回は7500の邪悪を滅した。この中にはいやしい鬼と黒い手が多く、法を乱す神は少なかった。全国どこでも数は同じぐらいです」。私は発正念中眠かったのですが、もう一人の同修も同じでした。小弟子は、それは外部の要素による妨害ではなく、私たちの体内のあれらの悪い物が邪魔していると話してくれました。
このことで私はしばらく心が静かになれませんでした。と言うのも自分は邪悪がすでに少ないと思っていたからです。正法は急速に進められており、この1、2年間は世の人々の大法に対する態度が益々よくなっていると、自分たちも感じています。真相伝えは昔の難しさから変わって、今は大分容易になってきています。更にもっと重要なことは公安、検察機関、裁判所、司法機関、610弁公室、町の共産悪党委員会も邪悪さが減っています。私たちが知っているように、これは邪悪の数が減ったことに原因があります。それにも関わらず、まだこんなに沢山残されているとは思ってもいませんでした。私は夢から覚めたように、自分の発正念の状態について再認識し、次のように悟りました。
1.邪悪がすでに少なくなっているからといって、真面目に発正念をしないで、ただ行うだけで、または麻痺状態で行ってはいけません。「正法が続いている限り、正念で邪悪を根絶し続けるべきである」と認識しなければなりません。また、真に発正念の威力を発揮するために、毎回の発正念は師父がおっしゃった如く唯我独尊の気迫を持ち、ぼんやりではなく、意識をはっきりかつ堅固にしなければなりません。
2.私はかつて発正念の時は自分の体中の微小な粒子までよくない要素を解体することを十分に重要視しなかったために、発正念の時に静かになれませんでした。これは発正念が衆生に対して責任を持つことであり、邪悪を消滅させることは衆生を済度することとの認識が足りないために、発正念のとき意識が朦朧として、またこの状態が繰り返されていました。これがどうして大法弟子のあるべき状態と言えるのでしょうか? 発正念の前に、まず自らを浄化して初めてよい効果を得ることができるのです。
3.邪悪による迫害状況が深刻な地区の大法弟子は反省すべきだと思います。私たちは内心まで発正念を重視したのでしょうか? 発正念の時間が短いのではないですか? 発正念の時間を長くして、密度も増してくれば、邪悪がそこまで凶暴なはずはありません。
実際、大法弟子は師父が要求されている三つのことを真面目に、厳粛に実行できるかどうかが精進しているかどうかを示すだけではなく、自らいる次元をも表しています。神はことをなすには責任を重んじており、神の道を歩んでいる大法弟子(未来の新しい宇宙の主または王)はもっとよく行うべきです。
2008年2月26日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/2/13/172317.html)
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