文/東北大法弟子 明玄
(明慧日本2008年3月5日)同修が書いた文章「師父の恩恵を思い出す」を読んで、私は長い間落ち着かず、1994年12月に広州で開催された師父の最後の講習会に参加した時の光景が、記憶になお新しく、ありありと目に浮かんできました。そして、私たちが見た、或いは感じたことを書いて、後世に残し、万代に伝えるのも私たちの責任だと思い、この文章を書きました。
一、師父が学習者に向け功を伝え、説法している姿が四方から同時に見えた
師父は背が高く体が大きい方で、慈悲深いお顔をしておられ、穏やかで親しみを感じる人なつっこい方でした。私たちははじめて師父にお会いしたとき、どこかで会った事があるように感じました。師父の説かれた修煉の法理は、度々学習者からひとしきりの拍手を博しました。直接師父の説法を聞き、功法伝授を受けた、この時間はとても喜ばしく、生まれてから最も幸せに感じた時でした。
師父が功を伝えられ、法を説かれる時、体育館の周りは学習者と弟子でいっぱいでした。当時私は師父の近くで、或いは師父と面と向かって坐って、師父の説法を聞けたら、どんなによいだろうと思っていました。残念ながら、私たちは師父の後ろに坐っていて、師父からわりと離れたところでした。師父はなんと私達の考えをご存知で、私達の心を見通しておられました。師父が、どこに坐っていてもみな同じです、とおっしゃった途端、私は四つの方向に同時に師父が功を伝え、説法しておられる姿が見え、みな学習者と弟子に面と向かっていました。不思議! とても不思議でした!! 体育館のどこに坐っていても学習者はみな同時に師父に、面と向かって座って説法を聞くことができました。みな遍く照らされている佛光を浴びていました。師父が法を説かれ、功を伝えられる間、師父の坐っておられる位置には、身体に黄色の袈裟を掛けた大佛の形象が三人同時に現れました。
修煉してから、無神論とはまったく世人を愚弄するもので、今日人類の道徳が急激に滑落した根本であり、真に人に害を与える屁理屈の邪説であることが分りました。
二、珍しい事件:雨が降っても、洋服は濡れなかった
ある日、わたしたちは師父の説法を聞き終わり旅館に帰る時、歩きながら法を勉強した時の体験を話し合っていました。目を上げた時、向こうから走ってくる車のワイパーが揺れ動いていて、雨が車のガラスを流れているのが見えました。これを見て、やっと雨が降っていることが分り、ぱらぱらと大粒の雨が降って道路がすべて濡れていることが分りました。しかし私たちが歩いていたところは雨が降っておらず、旅館に着いてみると、私たちの洋服は何と! ちっとも濡れていませんでした。
三、師父は学習者の体を調整してくださった
私は体が良くないため、修煉を始めました。講習会で師父は学習者のために身体を調整してくださいました。みなを立ち上がらせ、身体をリラッスさせてから、自分の病気のあるところを思うように、もし自分に病気がなければ病気のある家族を思うようにおっしゃいました。それから、まず一斉に右足で激しく地を蹴り、それから左足で激しく地を蹴りました。師父が大きな手をさっと動かすと、すべての人の良くないものが師父の手の中に集まり、師父の手から黒い液体がしたたるのが見えました。床に捨ててから、足で踏むとパッと音がしました。私たちには生まれてからいまだかつてないような感じでした。まさに師父が『転法輪』の78ページで説かれた通り「昨日、わたしが皆さんの身体にある良くないものを取り除いてから、ほとんどの人は身体が軽くなり、心地よく感じています」のとおりでした。
講習会で師父はまた、私はあなたの病気を治すのに、手を動かすまでもなく、私が一目みると、功はすでに行っています、と言われました。当時師父は本当に私を一目見られました。すると私は直ちに一陣の熱い流れが頭上から足の底まで駆け抜けていき、さっと一気に全身を通りぬけたことが感じられ、身体は浄化されました。師父の説法が進むに従って、これは真に修める弟子らに灌頂をしておられると分りました。
四、浄土
今回、広州での師父の講習会に参加した学習者は、新疆、黒竜江省、内モンゴルなどからきた人もいました。数日間の説法を聞き、みなの世界観は根本的な変わりました。この間、お金を拾ったとか、腕時計を拾ったとか、金のネックレスを拾った人はみな拾った物を届け出ない人はいませんでした。これは金銭財物のためなら、どんな悪事も敢えて行ない、世相がだんだん悪くなっていた、当時の中国社会の気風とは鮮明な対比となっていました。
また一部の地区から早く来ていた人は、持ってきたお金が足りないこともありました。しかし遅くきた学習者、お金を多く持ってきた学習者が、自ら積極的にお金を出して、その人たちを助けました。困難な学習者を助け他人のために考える素晴らしい光景が現れました。
師父が功を伝え、法を説かれる講習会は、どこで開催されても、どこでもこのような光景が現れました。修煉しない常人が次々と、私達の師父が伝えられた『転法輪』は高徳の大法であり、本当に法輪功を学ぶ人はみなよい人だといいます。法輪功のところは本当に浄土です。
五、祥竜がめでたく現れ、異彩を放つ
ある日の夕方、私たち数人は旅館で師父の当日説かれた法について勉強し、個人の収穫を切磋していました。その時、外にいた学習者が、空に二匹の龍が現れたと叫ぶ声が聞こえてきました。私たちもほかの人の後ろについて屋上に上がってみると、ちょうど旅館のビルの上空に、確かに二匹の白い龍が旋回していました。龍のひげまではっきりと見えました。
師父の講習会を振りかえって見ると、体育館の上空は終始一面の赤い光があり、法輪が回り、祥竜がめでたく現れ、光の流れが美しく輝くのが見えました。周辺の花は咲き競い、草と樹木は珍しさを争っていて、全く中国南部の美しい光景でした。
わたしたちの偉大なる師父が、国内外において、法輪功(法輪大法ともよぶ)を伝えて現在までの間、世界各地や中国内陸で次々と婆羅花(優曇華の花)が現れました。佛経の記載によると、婆羅花(優曇華の花)は三千年に1回咲くといわれ、この花の現れは法輪聖王が世間で法を正していることを意味すると言われています。