人に言われたくない執着を除去する
(明慧日本)私は修煉を始めて8年になります。法と出会う前、私は負けず嫌いで、どんな事でもまず人に従うことはなく、自分の間違いも絶対人に(特に家庭の中では)指摘されるのが嫌でした。修煉を始めた後でも、時々、家庭の中、社会生活の中、また会社でも、同修の間でもトラブルが絶えませんでした。
この数年間、法の勉強を経て、私は、修煉は絶えず内に向かって探し、あらゆる執着心を取り除き、心性を向上させる過程だとわかってきました。どんな場合でも、トラブルにあったときは、自分の内に向かって探すことこそ、真に心性を向上させるための鍵だったのです。
『ロサンゼルス市での説法』(2006年6月25日)の中で師父は、「つまり、大法弟子は間違いがあったとき、人に指摘されたくないということです。誰からも指摘されてはならず、言われたらすぐに怒ってしまいます。自分が正しいときに、人から意見を言われたくないし、間違ったときも、人から指摘されたくないのです。言われると、すぐ機嫌が悪くなってしまいます。この問題はすでに、かなり深刻になっています」と、このように話されています。
私こそは師父が指摘された、「誰にも言われないように」というタイプの修煉者で、特に家庭では常に命令調で家族と会話をしていました。相手に受け入れられるかどうかを気にせず、どう思われようと気にせず、わが道を行くでした。夫に対しては殊に厳しく、目障りとさえ見ていました。トラブルがあると相手が悪く、自分だけが正しいと思い込んでおり、自分に向かって探すことなどしていませんでした。相手の短所ばかりに焦点を当て、師父の要求には程遠かったのです。
法を勉強しているうちに、家族の良いところがわかるようになり、家族は自分より多くの面において優秀だとわかるようになりました。このように角度を変えて相手を見ると、私はその根源を見つけることができました。これこそ私(し)の仕業です。私(し)を強調せず、慈悲で穏やかな気持ちでいられたら、トラブルも存在していなかったと思います。
この根源を見つけた時、私は素直に現実と向き合うことにしました。最初は気持ちの上でめんどうくさいと感じましたが、私はゆっくり話をし、相手の主張を先に聞くように心がけました。夫と話すときに相談するように会話すると、家庭内のトラブルも随分減りました。これをきっかけに他のトラブルに対しても同じようにして解決することができました。
今では、人に指摘されても受け入れられるようになり、家族も私が変わったと言っています。私は、これで満足せず更に向上を目指し、もっとよい修煉者になるよう精進して行こうと思っています。
個人の感想であり、ぜひ同修のみなさんからご指摘をいただきたいと思います。
2008年3月6日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/3/5/173682.html)
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