河北深川市兵曹郷の農民が受けた迫害を語る
(明慧日本)私は河北省深州市兵曹郷東午村の村人で、97年「真、善、忍」に基づいて法輪大法の修煉を始めた。05年12月初めのある日の午前11時頃、外出先から家に戻ってきた私は、家の入り口の方にパトロール・カーが1台止まっており、6、7人がその辺りに立っているのを見た。私は気にとめずに表門から家に入ったが、気が付かないうちに彼らも一緒に入ってきた。彼らのうち一人が私を尋問し、他の人は庭や、部屋中をむやみにひっくり返したが、いかなる証明書も提示しなかった。暫くしてから、彼らは私の手提げ鞄を持って来くると「反動的な資料を探し当てた」と言い、私を尋問していた人が「お前は資料ともども連行する」と言った。
私は彼らにパトロール・カーに押し込められて兵曹郷政府まで強制連行され、不法に部屋の中に閉じ込められた。午後5時頃になると、また深州市の公安局まで引っ張られた。事務室の中で、彼らは探し出したものを指差して私に「どこから?誰からもらった?すぐに白状しろ!さもなくばお前を殴る!」と脅かした。
私は「人を殴ることは法を犯す」と言った。彼らは更に問い詰めてくるが、私は彼らに取り合わなかった。しばらくして、彼らは探し出したものを細かく調べて数を記録し始め、その中には宣伝ビラ、大法書籍と1冊の『9つの評論』があった。彼らのうちある人が『9つの評論』を取って、私に「お前この中に書いてあることを正しいと思うか?」と聞いたので、私は「書いてあることはすべて正しい」と答えた。すると彼は私をののしって、「何が正しい?」と聞いたので,私は「たとえば文化大革命の時に私は本村の文革指導メンバーで、県の“3司派”のすべての活動に参与し,初めから終わりまですべてその中にいた。私は『9つの評論』の中で言われている中共の行状を、当事者として体験しており、その経験は『9つの評論』が指摘していることそのままである」と答えた。
夜7時頃、警官はまた私を留置場に連行した。留置場の係官は私の名前を聞き、それから靴ヒモ、ベルトなどは全て外し、現金も取り上げ、私を6号檻房に拘禁した。この時は丁度食事の時間で、ある人がトウモロコシの饅頭1つと水を手渡してくれたが、私は「私は食べない」と言った。食後、その受刑者のボスは「みんなで監獄の規則を暗唱して私に聞かせる時間だ」と言った。私は「私は法を犯していないから、規則を暗唱しない」と答えた。そのボスは他の受刑者に寝に行くように言ったが、私には一人で部屋の中で立って宿直当番をするよう言いつけた。
私は掛け布団がないので、床に直に坐っていた。翌日、彼らは私に仕事をさせようとしたが、私はそれをせずに大法を暗唱し、発正念した。拘禁されて3日目の昼ごろ、彼らは私が仕事をせず、食べも飲みもしないことを見て、私を奥の部屋まで呼ぶと、私に食事をさせようとした。私が食べないと言うと、彼らは食べないと強制灌食すると脅した。私は「あなた達は悪い行為をしないでください。そうしたことは法を犯す。あなた達に何の利益ももたらさない」と言った。しばらくして、彼らは私を戻らせた。
その日の夜6時頃、私は別の部屋に呼ばれ、そこには私の村の支部書記と大隊長もいた。彼らは「お前の村の幹部がお前を迎えに来たので、荷物をまとめて行け」と言った。私は「私はここで83元の現金を没収された。それを私に返すべきだ」と言った。村の幹部は「返して貰わなくていい、行こう!」と言って,私を車まで引っ張って行き,車に乗せて家に連れ帰った。
2008年3月7日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/3/4/173613.html)
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