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中国大陸の同修も神韻公演に対する妨害を正念で否定しよう


 文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)最近、神韻公演が韓国、オランダなどで中共悪党の妨害を受けたニュースを見て、特に韓国釜山の公演が韓国の劇場から一方的に契約を破られ、公演ができなくなったことを知り、私は自分の考えの中に漏れがあることに気が付きました。今度の事件が発生して、おそらく大陸の大法弟子に全体的にこのような問題が存在しているため、旧勢力が邪魔をして衆生を迫害する理由を与えたと悟りました。ここで、私は自分の認識を同修たちと交流したいと思います。

 全世界の大法弟子は一つの全体であり、すべて師を助けて正法し、衆生を救い済度するためにこの世に降りてきました。師父はかねてから「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」(『2002年ワシントンDC法会での説法』)と言われました。しかし去年、神韻の韓国公演が妨害されたニュースを見た時、神韻の事は即ち自分の事だと意識していませんでした。

 神韻公演を邪魔する要素を発正念で一掃することをしなかっただけではなく、甚だしきに至っては頭の中で中共の神韻に対する妨害を「正常だ」と認め、韓国は中国大陸に近いから、妨害も大きいのは「あり得ることだ」と思い、回りの同修と討論した時に、「これは韓国政府と民衆に自分の未来を選択する機会を与えたのだ」と認識して、べつに深くその妨害の発生原因を考えませんでした。私にこのようなことを考えさせたのは、何かの執着心ではなかったのかと反省しませんでした。自分の考えの中で完全に旧勢力の神韻公演に対する妨害を認めていたのです。今やっと私は、この中におそらく大陸の大法弟子が修煉中に漏れの要素があると気が付きました!

 神韻の公演はヨーロッパ、アメリカ、アジア、オーストラリアの多数の国家を巡回公演しており、海外の各国家と地区の大法弟子はすべて神韻の公演のために努力しており、神韻の大陸での伝播もたくさんの大陸の衆生を救っています。海外の大法弟子は中共の私達に対する迫害を否定するため、ずっと力の及ぶ限り努力して、忙しくて寝ることもできなくなりました。海外の大法弟子が困難と妨害に遭った時に、大陸の大法弟子も同じく立ち向かって各種の方式で海外の大法弟子を支持すべきではないでしょうか?

 師父の指導のもとで、神韻芸術団の大法弟子達は彼らのやるべきことをして、想像もできないほどの各種の困難を克服して、芸術公演の方法で衆生を救い済度しています。神韻芸術団はすでに世界的に有名なトップレベルの芸術団体であり、同時に中共悪党が全力で妨害しようとする目標です。毎回の神韻に対する妨害は、別の空間できっと正邪の戦いがあり、そして神韻が巨大な影響力を持つため、邪悪は必ず神韻を集中して妨害と迫害をするので、こうして神韻は世界範囲の正法の焦点になりました。これはまさに大法弟子が邪悪を一掃するよい機会ではないでしょうか? 残念ながら私は以前この点について悟れませんでした。自分は神韻の「観衆」であり、神韻の一部と考えず、いくつかの間違った観念を持っていたため、旧勢力に隙に乗じられてしまいました。

 その間違った観念は、まず私は全世界の大法弟子が一丸であることを忘れていたのです。海外での迫害に反対するニュースをよく見たため、時には考えの中に海外の大法弟子は中国大陸を声援するのが当たり前だと思い、中共が海外で妨害と邪魔をする時に、自分が大法弟子の1人として何をするべきかを忘れていました。これは大陸以外の大法弟子に対する慈悲の心が不足しており、彼らを助ける責任感をもっていないことです。その次には、大陸以外の衆生を救い済度することを見落としていました。もし、どこかの神韻公演が中共の妨害で上演できなかったら、どれだけの衆生が救われないことになるでしょうか? どれだけの衆生が大法に対して罪を犯すことになるでしょうか?

 神の慈悲は国家の区別をしないので、なぜ私は身の回りの衆生と大陸以外の衆生に対する態度が違うのでしょうか? この中にやはり私心と区別の心があるのではないでしょうか? この中におそらく師父に依頼する心もあると思います。師父が神韻公演を指導されたことを知っており、神韻公演に対して強い自信を持ち、公演は必ず成功すると思い込んだのです。神韻が問題にぶつかる時に、自分はあまり気にせず、なんとなくこの問題を師父に解決していただくことになってしまいました。師父や大法に対する信頼は間違っていませんが、そのために自分の修煉を全部無視してしまうのはよくないことです。

 すべての大法弟子が他の大法弟子が困難にぶつかる時に手を伸ばさず、「その中には彼自身の修煉の要素が存在し、他人が代わることはできない」と主張するのは、「外に向かって探す」ことではないでしょうか? もし他人に問題が現れた時に、なぜ自分に見えることをちっとも考慮しなければ、ひたすら他人の問題にして、甚だしきに至っては力を入れて他人を助けることをしたくないことなのです。こうすると師父が苦心して按排された修煉の機会を失うだけではなく、旧勢力に同修を迫害する最大の理由を与えることになるのです。

 ここで大陸の同修に、私達の神韻公演に対する態度を正すことを注意したいと思います。神韻を正念で加持し、旧勢力が海外の同修の考えの中の隔てを利用して神韻を妨害し、迫害することを取り除きましょう。

 2008年3月7日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/2/28/173229.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/3/5/95075.html