■日本明慧 http://jp.minghui.org/2008/03/07/mh081574.html 



黒竜江省:李長安さんはハルビン刑務所と泰来刑務所で独房に監禁され、刑具で虐待された

(明慧日本)李長安さんは2003年10月21日に連行され、前後して黒竜江省ハルビン第二刑務所、ハルビン刑務所集団訓練隊、泰来刑務所で迫害を受け、独房に監禁され、各種の刑具で虐待された。

 2003年10月21日に連行された時、李長安さんの購入して2カ月しか経ってない携帯(康佳KC88CDMA)と電子書籍を奪い取られた。法輪功を迫害する先鋒である国保大隊の丑永生は、一群の警官を連れて李長安さんの家に行って、家宅捜査をした時、携帯の充電器を奪い去った。李長安さんは家族に携帯を請求するように依頼したが、丑永生は展覧会に送ったと言って返さなかった。しかも、いかなる証票も発行しなかった。丑永生の下で働く翁紅軍は、李長安さんが第二刑務所に監禁されている間の食費、200数元を揺すり取った。

 一、ハルビン刑務所集団訓練隊

 2004年4月23日の午後、李長安さんなど7人の法輪功修煉者はハルビン刑務所集団訓練隊に移された。集団訓練隊には関徳君という受刑者がいて、いろいろな権利を持っていた。ある日、警官は李長安さんともう1人の法輪功修煉者の呉平さんに数年の判決を言い渡した。呉さんは警官に会った時に報告をしなかったため、警官は離れる否や、関徳君は李長安さんと呉平さんを拳で殴ったり、足で蹴ったりした。

 夜に仕事が終わった後、関徳君は李長安さんなどがまじめでないという口実で、李長安さんと呉平さん、劉貴福さん、李占斌さん、張淇さん、劉立強さんを迫害した。彼らを携帯用腰掛けに座らせ、携帯用腰掛けを合わせた後、たてにして座り、馬に乗るように乗って座り、双手はひざのところに置き、必ず背筋をまっすぐにして座らなければならず、監視する人がいた。晩9時から深夜0時まで座り、翌日朝は4時から6時まで座らせた。その後は食事の時間である。一旦いわゆる三書を書くと承諾すると、処罰を免れた。その翌日の晩、法輪功修煉者全員が排斥した下で、その迫害の企みは頓挫した。

 ニ、泰来刑務所

 2004年7月1日、李長安さんは泰来刑務所の第三大隊第二中隊に移された。7月10日の昼ごろ、第二中隊の楊在平は、李長安さんが訴えの手紙(迫害の張本人・江沢民を直接指していた)を書いたことを口実に、オフィスで李長安さんに対して大立ち回りをし、李さんにびんたを張った。当時、法輪功を迫害する責任者の副隊長の雄徳会とほかの2人の警官がその場にいた。雄徳会は受刑者を指図して、李長安さんに一種の刑具を掛けた。この刑具を掛けた後、床に座り、手足を平行にまっすぐに伸ばし、この姿勢を保ったまま午後もずっと座らせ、食事の時も開いてくれなかった。

 夜に仕事が終わった後、警官は李長安さんを独房に監禁した。独房で、李さんは足に「支える棍棒」(法輪功修煉者を迫害する一種の刑具)を嵌められ、手にはU型に曲げた鉄筋の輪をつけられ、真ん中はねじでしっかり固定されていたため、鉄筋が筋肉にきつく食い込んだ。しかも手は体の後ろに引っ張られ、鉄鎖が両手の真ん中を通り、地面の輪に縛られた。鉄鎖は20センチの長さしかなかった。食事の時に開く以外、ほかの時間(睡眠時間も含める)にはずっと刑具を掛けられていた。李長安さんはこうして1週間監禁された。独房に監禁されたばかりの時、雄徳会は李長安さんに小さい容器半分のトウモロコシのおかゆを食事として与えるよう指示した。しかも、その中にはトウモロコシがらも砂も入っていてとても汚かった。

 2008年3月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2007/12/28/169186.html

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