日本明慧
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容易に気づかない私心を修める


 文/大陸大法弟子

(明慧日本)修煉を積む過程で、私は私心を表すことがよくあり、後天の観念により奥深く隠されて、気がつかないことがしばしばあります。それを取り払うためには、深く掘り下げ、自己の内面に向かって探さなければなりません。以下は私が体験した二つの例をあげて、同修の皆さんに常に気をつけるよう、お互いに励まし合いたいと思います。

 ある日、用事ができて外出するとき、道すがら勤務先の車に乗りました。出発して間もなく、運転手がタバコを吸い始めました。助手席にいた私は、自分は大法弟子で、身体の周囲は正しい場に包まれ、タバコを吸うことは許せないと思い、やめさせようと正念を発し始めました。しばらくしても、効き目はいっこうになく、どうして効かないのか自分の内面に向かって原因を探し始めました。実際のところ、自分は他人の健康のためではなく、他人がタバコを吸うにおいに反感を持ったから、正念を発したと悟りました。悟ってから、心の中はとても嫌な感じがして、一人の大法弟子として、いつも他人のために考えるべきだと思った瞬間、運転手はもうタバコを吸わなくなりました。

 もう一つの例として、ちょうどインターネットを利用し始めて間もないころ、自分が書いたものを詳しく調べもせずに、もしくは忙しいときには全く調べないままに同修や明慧ネットに出していました。同修は不平一つこぼしたことがなく、黙々と修正し、正しい文章をアップロードしてくれていました。何回か繰り返しているうちに、自分はなんと利己的であるのかと自覚し始めました。実を言うと、同修たちもとても忙しく、時には食事さえ摂ることができないこともあり、自分の都合ばかり考えて、同修たちに迷惑をかけてしまっていると悟り、自分の勝手さをいっそう後悔し、それと同時に、同修の慈悲と大きな度量に深く感謝しています。

 すべての同修に、よく法を学び、心性を高め、小さいことでも他人や同修の立場から物事を考え、私心を修めるように、互いに励まし合いたいと思っています。

 2008年3月8日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/2/25/173073.html